中国の貯蓄超過は婚活のため?

クルーグマンの批判を契機に中国の為替問題がクローズアップされている。中国の為替相場が人為的に低くされているのが、流動性の罠に蝕まれている世界に取って問題であり、その為替相場を増価させれば中国の過剰輸出も収まる、というのがクルーグマンの論理である。

一方、輸出の過剰は一国の貯蓄超過の問題であり、為替による調整には限界がある、という見方も存在する(…クルーグマンはそうした考えに批判的であるが)。現在の中国の貯蓄超過の原因については諸説あるが、その中で極めてユニークなものが先月のvoxeuに掲載されていたので、以下に紹介してみる。著者はShang-Jin Weiというコロンビア大学の教授。


Weiはまず、中国の高貯蓄の原因が企業にあるという見方を否定する。というのは、企業の貯蓄率は日本や韓国に比べてむしろ低いからである。中国において他国に比べ貯蓄率が高いのは家計である。従って、何がその家計の高貯蓄をもたらしているかを見究める必要がある。
一般に流布しているのは、中国のセーフティネットの脆弱さや、医療費の高さのために、家計が貯蓄に励んでいざという時に備えている、という説明である。Weiは確かにそうした点に問題が存在していることを認めているものの、それでも改善傾向が見られることを指摘している。それにも関わらず、家計の可処分所得に対する貯蓄率は、1990年の16%から現在の30%まで、ほぼ倍増している。
そこでWeiが目を付けたのが、中国の男女比が上昇し続けている点である。現在の出生の比率は女性100に対し男性122だと言う。即ち、彼らが成人した時、結婚市場で男性の約5人に1人があぶれることになる。こうしたアンバランスが生じたのは、息子を持つことを好む中国人の性向が、超音波診断による性別の判断の容易化や、厳格な一人っ子政策により強く表れるようになったためでないか、とWeiは推測している。


つまり、結婚市場で勝つために家計の貯蓄が高まった、というのがWeiの仮説なわけだが、それを裏付けるために実施した実証研究では以下の結果が得られたという。

  • 息子を持つ家計の貯蓄率の方が娘を持つ家計よりも高い。
  • 男女比がより高い地域の貯蓄率がより高い。これは、結婚市場で競争する必要が無い家計も、住宅市場やその他の耐久財市場での2次的な競争に巻き込まれるためと思われる。


Weiはこの実証分析の手法について、以下のように詳細に解説している。


1990年から2007年に掛けての中国の30の省をパネルデータとして用いた回帰分析では、男女比が高い地域・年で貯蓄率が高い、という結果が得られた。その結果は、所得水準、所得の不平等度、社会保障の加入比率、年齢構成、各省や各年固有の要因をコントロールしても変わらなかった。
また、男女比に影響を与えると思われる他の要素(一人っ子政策を破った際の罰金や、一人っ子政策を免除されている人口の比率)を操作変数に加えた回帰分析も実施したところ、男女比の貯蓄率に与える影響はむしろ強くなった。その回帰結果によると、男女比が1.05から1.14に上昇すると(=実際の1990年から2007年にかけての各省の変化の平均)貯蓄率は6.7%高まるが、それは実際の貯蓄率変化の42%を説明する。地域別に見ると、男女比の貯蓄率に与える影響は、都市部よりも地方で大きい(=実際の貯蓄率変化に対する説明度は49%に高まった)。


さらに、2002年における122の地方の郡と70の市をカバーする家計ベースの分析も実施した。そこでは、息子を持つ家計が娘を持つ家計よりも貯蓄率が高いことが示されたが、そのこと自体は他の要因でも説明可能である。しかし、息子を持つ同じプロフィールの家計で、居住地域の男女比だけが違う場合に貯蓄率の差が表れたことは、Weiの仮説以外では説明がつかない。一方、娘を持つ家計では差は見られなかったが、これは結婚市場で優位に立つ効果と、耐久財市場での競争に巻き込まれる効果が相殺されたためと考えられる。


この家計レベルの分析では、ライフサイクル仮説に基づく要因(家族の年齢構成)や予備的な貯蓄動機に基づく要因(世帯主の教育水準や、家族の中に政府で働いている者、失業者、重病を患った者がいるか否か)をコントロールしたが、ライフサイクル仮説は支持されず、予備的な貯蓄動機は幾分か支持された。しかし、男女比が貯蓄率に与える定量的な効果は、そうしたコントロールの影響を受けなかった。


こうした分析への反論としては、ある地域特有の所得の不確実性が男女比にも影響を与えた、ということが考えられる。しかし、そうした不確実性は息子を持つ家庭と娘を持つ家庭の双方に平等に降りかかるはずであり、上記の分析で見い出された両者の間の貯蓄率の差を説明できない。
では、所得の不確実性をより嫌う家計が息子を持つ傾向がある、ということは考えられないか? これについては先行研究があり、それによると、第一子で性別の産み分けをする傾向は小さく、第二子以降でその傾向が顕著になるという。特に地方では、第一子が女子ならば第二子を持つことが認められており、家計は2人の息子を持つよりも息子と娘を1人ずつ持つことを好むので、第一子で性別の産み分けをする理由は乏しい。分析では、一人っ子の家庭に対象を限定しても、結果は変わらなかった。また、(第一子の性別にこだわる理由がより乏しい)地方の方が、男女比が貯蓄率に与える影響が大きかった。


…このようにWei(と共同研究者のXiaobo Zhang)はそれなりに緻密な実証分析をしており、見掛けほどキワモノの研究ではないことが伺える。