クリストファー・シムズのバカの壁

昨日紹介したシムズの論文では、金利がゼロに達した場合、金融政策だけではインフレ期待を起こすのが難しいので、財政政策とセットにしてインフレ期待を醸成するのが良いのでは、と提案している*1
その結論部では、

  • FRBが一時的なインフレの2%以上の上振れを許容すると言わないまでも、デフレを忌避すると言っている。
  • 米議会は増税を嫌っている。もし増税するならば2/3の多数派が必要。

という現状が、期せずしてインフレ期待を高める良い政策になっているのでは、という希望的観測を述べている。その一方で、財政と金融が協調して整合的な政策を打ち出せばもっと良くなるが、現在の足並みの乱れは政策に大きな不確実性をもたらしている、とも述べている。こうした観測は、日本にもそのまま当てはまるだろう。


なお、昨日のエントリではサムナーもこのシムズの論文を評価していると書いたが、彼が評価したのは上述の財政との協調に関する部分ではない。サムナーは、財政政策は金融政策の足手まといに過ぎない、という思想の持ち主なので、その部分はむしろ反対と思われる。彼が評価したのは、(昨日の紹介では飛ばした)第1節の後半部分である。ここでシムズは、中央銀行が(財政の力を借りずに)人々にインフレ期待を持たせるための条件について論じている。池田信夫氏の表現を借りれば、シムズ版のリフレの補助仮説ということになる。
以下に改めてその部分を拙訳で紹介する。

こうした問題(=金利ゼロの時に、将来の政策に関する中央銀行の宣言が人々に信用されないという問題)は、ゼロ金利下限に突入する前に優れたインフレ目標制度を確立していた中央銀行では軽減される。インフレ目標制度を採用する中央銀行が定期的に発表するインフレレポートでは、現在の政策行動と、将来の望ましいインフレの実現との関連についての説明がなされる。また、メディアや人々は、原因の分かっている擾乱がインフレを目標から逸らし、それを目標経路に戻すために中央銀行が行動を起こす、という経験を積み重ねていることだろう。そうした中央銀行が、インフレ率が上昇することを望み、然るべき期間の後にインフレ率を安定ないし減少させる意思があると宣言すれば、そうでない中央銀行よりも人々の信頼は高いだろう。いまだかつてインフレ率や政策金利の目標経路を発表したことが無い中央銀行は、ゼロ金利に達した後になって初めてインフレの目標経路の発表を始めようとしても、信頼を得るのは遥かに困難だろう。(米国のFRBのように)目標インフレの経路抜きで政策金利の経路だけを発表しようとする場合は、状況はさらに悪い。ゼロ金利継続の約束を宣言することの目的は、期待インフレの増大にある。人々が金利経路と目標インフレ経路の関連をインフレレポートで読んだことが無い場合、将来金利の予想をインフレの予想にどう翻訳してよいか分からないだろう。特に、低金利の継続を明確に約束しておきながら、インフレの望ましい経路やインフレが一時的に目標を上回るリスクについてオープンな議論をしない(米国のFRBのような)中央銀行については、過去の政策によって誰の目にも明らかになっているインフレの天井に関するこれまでの約束が、低金利継続という声明の約束よりも優先する、と人々が考えるのは理に適っている。この場合、当然ながら、声明の金利に関する約束は効力を失ってしまう。

これもまた日本にもそのまま当てはまりそうな話である。

*1:[2010/2/6追記]cf. ここで提示したプロセス通信の喩え。ちなみにシムズは財政が物価水準を決めるという理論FTPL(Fiscal Theory of Price Level)の主唱者としても知られているが、この論文の中盤でもそれを援用している。