貿易の自由化と経済

クルーグマン12/10ブログエントリで以下のような文章を書いた。

There are a lot of good things you can say about international trade. But it does not, repeat not, do anything to alleviate a shortage of overall demand. Yes, if you liberalize trade countries will export more. But they will also import more. If you’re worried about C+I+G+X-M, it’s a wash, because X and M rise equally.
(拙訳)
国際貿易の利点は多々ある。しかし、全体的な需要不足を緩和することは決してない。確かに貿易を自由化すれば、国々は輸出を増やすだろう。しかし、同時に輸入も増やす。C+I+G+X-Mの式で言えば、XとMが同じだけ上昇するので、差し引きゼロだ。


その上で、米国の雇用のために韓国ならびにコロンビアとの自由貿易協定を進めるべきだ、というワシントンポスト社説を批判した。


これに、ミーゼス研究所のロバート・マーフィー(Robert Murphy)が噛み付いたクルーグマンのこの考えを敷衍すると、仮に世界中の国が一斉に鎖国をしたとしても、輸出の低下は輸入の低下によって相殺されるので、世界全体のGDPは不変ということになる。しかし、たとえば香港のような小国が貿易を封鎖されたとしたら、純輸出がゼロになるだけでは済まないのは自明である。そのことをマーフィーは、ある島国の小国についての以下の仮想的な数値例を使って説明する。
<島国の経済>

C(消費) I(投資) G(政府) X(輸出) M(輸入)
74 10 15 100 99

GDP=74+10+15+100-99=100
この島国が、海上封鎖で貿易を停止させられたとする。もし、純輸出(100-99=1)がなくなるだけと考えれば、GDPの落ち込みは1%で済む。だが、当然ながらそうはいかず、海上封鎖後の島国の経済は以下のようになるだろう。
<島国の経済(海上封鎖後)>

C(消費) I(投資) G(政府) X(輸出) M(輸入)
15 0 5 0 0

GDP=15+0+5+0-0=20
誰も投資をしようとしなくなるので投資は0にまで落ち込み、税収の落ち込んだ政府は支出を減らし、消費者は消費を切り詰める。その結果、GDPは80%も落ち込むことになる。


ちなみに、サムナーもクルーグマンの上の文章を取り上げて、以下のように揶揄している

If Kim Jong Il conquered China tomorrow, and closed it off from the world economy, the US trade deficit would shrink. But so would our economy.
(拙訳)
もし金正日が明日中国を占領し、鎖国したら、米国の貿易赤字は縮小するだろう。しかし、米国の経済全体もまた縮小するだろう。


こうした一連の議論をEconlogのデビッド・ヘンダーソンが面白おかしく取り上げたところ、そのコメント欄で、ビル・ウルジー(Bill Woolsey)シタデル軍事大学(士官学校)教授*1が以下のようなコメントをした。

The simple Keynesian theory of income determination is that real income equals planned expenditure. It follows from the theory that firms will not produce what they cannot sell.

The income accounting identity is different. It includes unplanned inventory investment as a type of expenditure and profit on that "investment" as a type of income. That means that output always generates a matching expenditure and a matching income.

Krugman is asserting that the main effect of a free trade aggreement will be a decrease in the demand for import competing goods and an expansion in the demand for exports. This will leave total planned expenditure and output unchanged.

If will, of course, raise the productive capacity of the economy. That is what comparative advantage is all about. But actual income is below capacity, being limited by planned expenditure.

Now, if the trade opening hit the capacity constraint for export goods, while adding to already existing excess capacity in import competing industries, so much the worse.

Murphy reverses the scenario (closing trade.) He makes an example of a very trade dependent nation. He doesn't explicitly say it, but assumes that the increase in the demand for import competing products hit a capacity constraint (we starve because we can't grow food.)

In my view, Krugman's error is failing to see that efficiency enhancing change not only raise the productive capacity of the economy, but can also allow a relatively painless reduction in the price level and expansion in the real quantity of money, which does solve the problem of inadequate real demand. (And Krugman always then falls back on his claim that we are in a liquidity trap.)
(拙訳)
単純なケインズ経済学の所得決定理論は、実質所得は意図した支出に等しくなる、というものである。これは、企業が売れないものは作らない、という理論に基づいている。
所得の会計恒等式はそれとは異なる。そこでは、意図せざる在庫投資も支出としてカウントされ、その「投資」からの利益も所得の一種としてカウントされる。これは、産出が常にそれに見合う支出と所得を生み出すことを意味している。
クルーグマンが主張しているのは、自由貿易協定の主たる効果が、輸入競合財への需要の減少と、輸出需要の増加にある、ということである。このため、意図した支出と産出は変化しない。
ただ、もちろん、経済の生産能力は上昇する。それがまさに比較優位の意味するところである。しかし実際の所得は、意図した支出に制約されているので、その上昇した能力以下に留まる。
ここで、もし貿易の自由化により、輸出財が生産能力の上限に達する一方、輸入競合財において元から存在していた過剰生産能力がさらに増大したとしたら、その分だけ経済の状況は却って悪化する。
マーフィーはこのシナリオを裏返した(貿易を停止した場合の)状況を示している。彼の提示した例は、貿易に大きく依存した国である。彼は明示的には述べていないが、輸入競合財に対する需要の増加により、同財の生産能力が上限に達したことを仮定している(食糧生産が追いつかないため、飢餓が発生するわけだ)。
私に言わせれば、クルーグマンの過ちは、効率改善的な変化が経済の生産能力を上昇させることを見落としたことだけでない。その変化によって、実質需要不足を解消するための物価水準の低下と実質貨幣残高の拡大がよりスムーズに進むようになることも見落としている(ただ、そうするとクルーグマンは、我々は流動性の罠に陥っているという主張に立ち戻ってしまうのだが)。


このウルジーのコメントで興味深いのは、

  • 貿易の自由化による輸出と輸入の変化を、輸出需要の増加と輸入競合財需要の減少という観点で捉えた。
  • その上で、マーフィーの極端な反例では、輸入競合財の生産能力の上限が暗黙のうちに話に入ってきてしまっていることを指摘した。

点である。
また彼は、貿易自由化による経済効率改善により、需要不足の問題の解消も容易になるとも指摘しているが、この点は日本で言う構造改革論者的とも言える主張であり、意見の分かれるところだろう。

*1:WCIブログのコメント欄などでも良く見かける。彼自身のブログはここ