11/3エントリに対し、Cruさんから「徴税を中央銀行発行の通貨で受け付ける国家権力の存在が裏付けなのかしらん?」というコメントを頂いた。
徴税を貨幣論の基礎に置く考えは、拙ブログで何回か紹介したビル・ミッチェルやカンザスブログの人たちの基本的主張と言ってよいだろう*1。実は11/3エントリで紹介したRoweの議論を読んだ時、小生も真っ先に彼らの議論を思い浮かべた。そこで、こういうことを言っている人たちがいるけれど、どう思います?、というようなコメントをそのRoweのエントリに書いてみた。
すると、Roweより先に、RebelEconomist氏*2が反応し、彼らの主張をChartalismと呼ぶことを教えてもらった(ただしRebelEconomist氏自身は彼らの主張に否定的とのことだったが)。
そこで、Chartalismでぐぐってみると、日本語では「表券主義」とか「貨幣国定説」と訳されていることを知った*3。このエントリによると、Chartalismの語源はラテン語でチケットとかトークンを意味する「charta」であるとのこと。
また、Wikipediaのエントリでは、この学派について良くまとまった説明がなされている。その中のModern_Proponentsという項を見ると、ビル・ミッチェルやカンザスブログの人たち等の最近の主唱者は、Neo-Chartalismと呼称されるとのことである(カンザス一派の代表的人物であるL. Randall Wrayが自らそう名付けたとの由)。また、こちらの説明によると、カンザスブログの人たちは、今の米国の代表的なポスト・ケインジアンなのだという*4。
Rowe自身からは、小生が紹介したミッチェルのブログエントリやWikipediaをざっと読んでみたけれど、かなりの部分は実はオーソドックスな主張なのではないか、という見解をもらった。
なお、後で気付いたが、Roweの中央銀行に関するもう一つのエントリ(ここ参照)でも、RoweはChartalismを勉強すべき、というようなコメントを書いていた人がいた。
それやこれやで、Rowe自身もChartalismに興味を持ち、それに関するエントリを書こうとしているようだ(直近のエントリでは、Neo-Chartalismについて書こうと思ったが、脱線してしまった、と書いている)。もし何か面白いことを書いたら、またここで紹介してみたい。