デロングのコチャラコタへの疑問

昨日のエントリに通底する疑問を、デロングがコチャラコタ投げ掛けている


デロングはコチャラコタのことを「大変頭が切れる(very sharp)」と評価しつつも、「現状の擁護者で、今の状況は基本的に問題ないと考えている(Narayana Kocherlakota is a defender of the enterprise. He thinks that everything is more-or-less fine.)」と断じている。


デロングが特に問題にしたのは、ここで紹介したコチャラコタの論考*1の第7項である。

彼は、コチャラコタが挙げた現在のマクロ経済学モデルにおける外生的ショックの例を以下のように茶化している。

The models thus tell us that downturns are either the result of a great forgetting of technological and organizational knowledge, a great vacation as workers develop a sudden extra taste for leisure, or a great rusting as the speed with which oxygen in the air corrodes speeds up and so reduces the value of large things made out of metal.
(拙訳)
それらのモデルは、つまり、経済の下降は、技術や組織に関するノウハウの集団的忘却、労働者が突然もっとレジャーを取りたくなったことによる大休暇、大気中の酸素が金属製の大型資本財を腐食する速度が速まって価値を減じた大いなる錆び付き、のいずれかの結果である、ということを教えてくれるわけだ。


そして、それらは誰も本気では信じていない便宜的な「お話」である、というコチャラコタの見方を否定する。

Things that strike Kocherlakota as “patently unrealistic” are not viewed as such by many of his modern cutting-edge macroeconomic peers and colleagues, but rather as essential for "the best" and for "the most practical" macroeconomics.

(拙訳)
コチャラコタが「明らかに非現実的」と受け止めた事柄は、現代マクロ経済学の最先端にいる彼の同僚や仲間の多くからはそうは思われていない。彼らは、「最良」かつ「最も実践的」なマクロ経済学にとってそれらは本質的である、と考えている。


デロングがそこで槍玉に上げるのは、プレスコット、ケイシー・マリガン、ルーカスである。
デロングによると、プレスコットは集団忘却によるTFP低下を本気で信じているという(ただしプレスコットは、大恐慌については、左派のフーバー大統領が労働者と労働組合寄りの立場を取り、実質賃金を均衡より高めに維持したために起きた、と考えているとの由)。また、マリガンは本気で失業は大休暇と信じているとのことだ。そしてルーカスについては、ノーベル賞受賞講演でRBCを評価したことをデロングは槍玉に上げている。

*1:cf. 池尾和人氏のまとめはこちら