セイビング・キャピタリスト・フロム・キャピタリズム

マンキューがこの本のタイトルをもじったエントリを上げた。内容は、同書の著者の一人であるジンガレスの論説へのリンク。マンキューは、その論説の最後の段落のオバマ批判部分のみ引用しているが、むしろその前が面白いので、以下に内容を簡単にまとめてみる。


ジンガレスは、論説の前半で、米国の資本主義とそれ以外の国の資本主義の違いを強調する。


彼によれば、米国では熱心に働いて自由市場で勝ち抜いていくことが成功の鍵だが、米国以外では、成功する第一の方法は政府とのコネであるとのこと。その証左として、彼は以下の数字を挙げる。

  • 所得格差をもたらす主因は勤勉よりも運であると考える米国人は40%しかいない。その数字は、ブラジルでは75%、デンマークでは66%、ドイツでは54%にもなる。
  • インターネットブーム前の1996年においても、米国のビリオネアの4人に1人は自力でのし上がった人であった。ドイツではその数字は10人に1人に過ぎない。
  • イタリアの経営者は、経済的成功の要因として、「影響力のある人とのコネ」を1位に挙げた(80%がそれを「重要」もしくは「とても重要」と位置づけた)。「能力と経験」は5位であり、「忠誠と服従」よりも下であった。

実際の成功者の例として、彼は、米国のビル・ゲイツ、マイケル・デル、ウォーレン・バフェットマーク・ザッカーバーグを、ロシアのオリガルヒやイタリアのシルビオベルルスコーニやメキシコのカルロス・スリムや香港の大富豪に対比させる。前者は政府と関係なしに市場での競争によって成功を収めたのに対し、後者は政府とのビジネスによって富を得た人々である。


そして、ジンガレスは、米国にこのような理想的な資本主義が根付いた理由として以下を挙げる。

  • 産業化の前に民主主義が発展していたこと
    • そのため、経済政策の不公正を許さない土壌ができていた。
    • 19世紀末から20世紀初めにかけて独禁法の概念が米国で形成されたのは偶然ではない。
    • 欧州では大企業の反対者は反市場主義の社会主義者だったが、米国では市場主義者だった。
  • 資本主義が政府の経済への影響力が極めて弱い時期に発展したこと
    • 20世紀初頭の米政府支出のGDP比は6.8%に過ぎなかった。
    • 一方、西欧で近代資本主義が本当に発展した第二次世界大戦後には、これらの国での政府支出のGDP比は平均して30%に達していた。
    • 政府の比重が小さいときに金を儲けるには民間で起業するのが良いが、政府の比重が大きいと、そうした起業リスクを取るよりも政府とのビジネスに乗り出す方が金儲けの方法として容易になる。
  • 外国の影響力が少なかったこと
    • 19世紀から20世紀にかけて、確かに欧州(特に英国)の資本投資が重要な役割を占めたが、それらの国の経済も米国より発展していたわけではないので、米国経済を支配するには至らなかった。
    • 第二次世界大戦後に資本主義経済を発達させた国では、そうはいかなかった。米国企業による経済植民地化を恐れた各国の支配者層は、わざとコネが物を言う不透明なシステムを構築した。
  • マルキシズムの直接的な影響が少なかったこと
    • マルキシズムの脅威に曝された国では、共通の敵と戦うために市場主義者と企業主義者が手を組んだ。国有化(=少数の政治エリートによる経済支配)よりも、縁故資本主義(=少数の経済エリートによる経済支配)がまだましだと考えられたのである。
    • それらの国では、マルキシズムの脅威が去った後も、企業主義者たちは市場主義の旗を完全に換骨奪胎していたので、市場主義者が改めて分離独立することができなくなっていた。そのため、企業主義はマルキシズムからも市場主義からも抵抗を受けることがなくなり、却って事態は悪くなった。中でも最悪の例が、市場主義の動きが完全にベルルスコーニの掌中にあるイタリア。

こうした背景により、米国以外の国での成功譚と言えばシンデレラやエビータといったファンタジー物であるのに対し、米国ではホレイショ・アルジャーの刻苦勉励による出世物語が資本主義の成功譚として人々の心に刻まれるようになった。


だが、今、こうした米国の資本主義に翳りが生じている、とジンガレスは懸念する。その懸念が彼の論説の後半部をなしている。


その翳りをもたらしたのは、金融業である。米国では、伝統的に金融業界による産業支配への警戒心が強く、銀行に対する規制は強かった(中には支店設置に関する馬鹿げた規制もあった)。グラス=スティーガル法もその伝統に則っていると言える。しかし、過去30年にそうした伝統はすべてひっくり返された。その結果、金融業では大手金融機関による寡占化が進み、政治的影響力も増した。それは、米国において市場主義が敵とみなしてきた企業主義の出現にほかならない。


そこへ、今回の金融危機に伴う銀行の救済劇である。この出来事により、大衆の金融業界に対する怒りは沸騰した。こうした事態を受けて、政権には二つの選択肢がある。
一つは、人々の怒りを利用して、市場主義の伝統に立ち返ることである。企業主義の増長をここで食い止め、大手金融機関の政府への影響力を排除する。
もう一つは、取りあえず金融機関への役員報酬の制限といった形で人々の怒りを宥め、その一方で金融機関への支援を続けることである。しかし、この方針は政府と金融業界のもたれ合いをますます深め、大企業資本主義へつながる。その結果は、他国と同様の市場主義と企業主義の融合であり、米国独自の資本主義に対する人々の信頼の消滅である。


ジンガレスによれば、これは米国資本主義の曲がり角となる選択だが、オバマ政権は後者の道を選んでしまったようだ、とのことである。これこそが今回の危機がもたらした最悪の損害かもしれない、と彼は嘆いている。