Stumbling and Mumblingというブログを書いているクリス・ディロー(Chris Dillow)が、今回の危機は別に現在の経済学に根本的な影響を与えるものではない、と述べている(Economist's View経由)。
彼に言わせれば、そもそも経済学は予測には使えないことは分かっていたのだから、今回の危機を予測できなかったからと言ってその価値が下がったわけではなく、従って特に見直す必要はない、とのことである。
以下に彼のエントリの概略をまとめてみる。
- 今回の危機を「経済学にとっての地震」と評したり、「新しい理論が必要」と言う人がいるが、そういう人たちは、経済学を、ある程度まとまってはいるが未だ不完全な知識と理論の体系と見なしている。しかしそれは違う。経済学は多種多様な洞察の集合体なのである。しかも、そうした洞察のうち現在の経済危機の説明に使われているものは、2007年以前に既に経済学者の間で良く知られていた。たとえば
- リスクは正規分布で把握できない:
- 資産価格にはミスプライシングがあり得る:
- 我々は少なくとも1637年のチューリップ・バブル以来、バブルのことは知っている。また、バブルの存在は効率的市場仮説(EMH)の否定を意味しない。以前述べたように、EMHは投資家が合理的という仮説ではなく、彼らの行動が感情に支配される可能性と矛盾するわけではない。また、EMHはリスクプレミアムが時間的に変動することを許容する。EMHのキーコンセプトは、追加的なリスクを取ること無しに市場に勝つことはできない、ということなのである。
- 経済的な安定が長く続くと人々はより大きなリスクを取るようになる:
- 複数の銀行で並行して発生する損失は破滅的なほど大きくなり得る:
- 銀行などの組織は、間違った仕組みによりもたらされたインセンティブによって傷つくことがある:
- プリンシパル・エージェント問題には膨大な文献がある。
- つまり、今回の危機は、経済学者にとって未知のものを提示したわけではない。物事の発生理由や、相互の関連を説明する機構は、彼らは既に数多く有している。
- 我々に無いのは、予測を生み出す法則である。「社会科学の道具箱―合理的選択理論入門(Nuts and Bolts for the Social Sciences)」でヤン・エルスターは、この点を強調した。彼は社会科学について以下のように書いた:
- (社会科学は)傾向、特徴、機構を分離抽出し、それらが、人をしばしば驚かせる直観に反するような行動の契機となることを示すことができる。また、社会科学は、様々な機構のスイッチが入る必要十分条件を明示することもできる。
- 2007年に経済学者が抱えていた問題はまさにそれだった。我々は破滅を招き得る機構が存在していることを知っていた。我々が知らなかったのは、それにスイッチが入ったかどうかだった。要は、我々は危機を予測しなかったにせよ、事後にはそれにともかく説明を付けることができた。エルスターはこうも書いている:
- 我々はある時は予測できなくても説明できるし、またある時は説明できなくても予測できる。確かに、多くの場合において、まったく同じ理論が両方を可能ならしめるが、社会科学においてはそれは通例というより例外であると思われる。
- 興味深い質問は、それは今後も例外に留まるか、というものだ。私(=ディロー)はそうだと思う。経済学者が、当たる予測を組織的に生み出すような法則を見つけることは決して無いだろう。
- しかも私はそれで良いと思っている。そうした法則を欲するのは、中世の賢者の石の探索と同じくらい馬鹿げたことだ。もし将来を予測したいと思うなら、あなたはとても間違った方向に進んでいる。