欧米の失業率を巡る賭け

最近の欧米の失業率の推移を巡り、豪州の経済学者ジョン・クイギンとEconlogのブライアン・キャプランが正反対の解釈をし、遂には両者の間の賭けに話が発展しそうである。


問題の失業率データは、キャプランこの5/22エントリの図が分かりやすい。この図はCEPR*1の研究者が発表した小論からキャプランが引っ張ってきたものだが、今年3月の米国と欧州(EU15ヶ国)の失業率が8.5%で等しくなったことが示されている。1993年以降、それまではずっと米国の失業率が欧州のそれを下回っていたのだが、今後それは逆転するだろう、というのがCEPRの研究者の見方である。その理由として、これまで欧州と比較して称揚されてきた米国の労働市場流動性が、この危機においては失業者を生み出しやすいという形で仇になる、ということが挙げられている。


当然ながらキャプランはこの見解に反発しており、過去15年(こちらのデータによれば過去25年)欧州の失業率が米国を上回ってきたのが、たかだか今後1年の逆転で帳消しになるわけがないではないか、と反論している。CEPRの図を見ると、確かにITバブル崩壊の際に米国の失業率が欧州より急速に上昇したが(ただしその際も水準は欧州より下に留まっている)、そうした労働市場流動性の高さこそが、逆に景気回復の際に急速な低下をもたらすのだ、とキャプランは力説する。


よほど腹に据えかねたのか、キャプランは同日の続くエントリで、CEPRの小論の著者3人に賭けを申し入れている*2。賭けの内容は、今後10年間(2009-2018年)の失業率平均が、欧州が米国を1%以上上回る、というもの。賭け金は、3人それぞれに100ドル*3


これに対し、CEPRの著者の一人(ジョン・シュミット)がメールで断りの連絡を入れると同時に*4、そのメールの中身をコメント欄に貼り付けている。内容は概ね以下の通り。

  • そもそも自分は賭けをする人間ではない。
  • 論文の目的は欧州の方が失業と闘う面で優れていることを主張するものではない。論文の第一の目的は、むしろ、欧州をだしに米国の失業の深刻さを強調することにあった。
  • 論文の第二の目的は、2007年以降、欧州の多くの国(スペイン、アイルランドを除く)での失業率の増加は、米国より小さかったことを示すことにあった(ドイツなどではむしろ現在が2007年より低い)。米国型経済モデルの優位性を説くならば、この現象の説明もできるようにすべき。
  • 論文の第三の目的は、欧州と一口に言っても国ごとに事情が随分違うことを理解してもらうこと。
  • 自分の考えでは、問題は福祉国家労働市場制度にあるのではない。というのは:
    1. デンマークやオランダのような労働市場の規制が強く組合の存在が大きい福祉国家において、失業率が米国を下回っている。
    2. EU15ヶ国で最も失業率の高いスペインは、福祉の発展度が最も低く、労働監督規制が最も緩い国に属する(労働者の1/3は一時契約雇用)。
    3. 安定した福祉と労働市場制度を持つ国における失業率は、時系列で見て大きく変化することがある(例えばドイツは統一までは失業率が米国を下回っていたが、統一後は、様々な規制緩和を実施したにも関わらずその優位性を失った)。
  • 経済学者の多くは、問題は福祉国家労働市場制度にあると考えている。しかし、自分の考えでは、かつて米国のNAIRUは6〜6.5%だと考えられていたのが1996-2000年の経験で否定されたように、その考えも否定されていくのではないか。
  • 自分の考えでは、欧州の問題はマクロ経済政策のまずさにある。しかし、ECBと欧州各国の政策当局者は米国から学ぼうとしないので、賭けには応じられない。


こうしてCEPRの著者が断った賭けを拾ったのが、冒頭で触れたクイギンである。


彼は、キャプランが一連のエントリを書いたのと同じ5/22に、「論破された/時代遅れになったドクトリン(Refuted economic doctrines)」シリーズの8本目として、「柔軟な労働市場の優位性(the superiority of flexible labor markets)」を槍玉に上げている。そこでの主張は、確かに解雇コストの高さにより、欧州の失業率は景気拡大期には高く、景気後退期には低くなるが、それによってむしろ失業率の振れが抑えられるではないか、というものである。そして、雇用保護が強いと正社員と非正社員の格差が大きくなると言われるが、実際には米国の方が格差問題が大きいではないか、とも指摘する。


次いで、5/25エントリで、キャプランの賭けを受ける意思を明らかにしている。ただ、そこで、一見奇妙に見える修正条件を付けている。曰く、囚人を失業者としてカウントすること。もしくは、通常の失業率を使うのであれば、欧州と米国の失業率の差を1ポイントではなく2.3ポイントとすること、である*5
CEPRのグラフを目の子で見てみると、過去15年間にこの賭けを適用すれば、キャプランが勝っていただろう、とクイギンは認める。そして、欧州の失業率が上昇していないことは、クイギンの主張するような振れの小ささによるものではなく、ワンテンポ遅れてこれから上昇する可能性もあることも認めている。
ただ、スタート時点で両者の失業率が並んでいること、および、欧州内での労働者の移動可能性が15年に比べ高まっていることから、勝算は十二分にあると考えているようだ。同時に、米国の労働市場の柔軟性が喧伝される割には、失業率の低さが精々1ポイントというのは実は小さいのではないか、という疑問も投げ掛けている。低い最低賃金、弱い労組、無きに等しい雇用・解雇規制、失業給付の不十分さを考えれば、1%の失業率低下と引き換えにそれを受け入れるのはコストが高すぎやしないか、というわけだ。


このクイギンのエントリに対し、まだキャプランは反応していない(キャプラン側にTBもコメントも打たれていないようなので、そもそも気づいていないのかもしれない)。


日本でも、労働市場の硬直性と、失業や正社員と非正社員の二極化の問題との関係は取り沙汰されているので、こうした議論の行方は気になるところである。ただ、10年後に決着を見るのでは如何にも遅すぎるが…。

*1:英国のCentre for Economic Policy Researchではなくディーン・ベーカーの設立したCenter for Economic and Policy Research

*2:キャプランは経済学者の間の賭けに積極的である。cf. ここ

*3:10年後には100ドルの価値がパン一斤程度に低下しているのでは、という冷やかしめいたコメントがあったが、それに対しキャプランは、ワンダーブレッド一斤が2019年も20ドル以下であることに賭ける、と応じている。

*4:キャプランの同日のこのエントリによると、その際、著者の一人(誰かは書かれていない)から、オバマ政権の終わりに人間開発指数HDI)でスカンジナビア諸国が米国を上回っているかどうか賭けよう、という逆オファーがあったそうだが、キャプランはそもそもHDIなぞオワタ国向けのインデックスだ、とそれを断っている。

*5:彼の計算では、囚人を失業率に含めれば、米国は1.5ポイント、欧州は0.2ポイント高くなるので、それで帳尻が合うとのこと。