ロドリックvsイースタリーの産業政策論争

少し前に、ロドリックとイースタリーが産業政策を巡って軽く火花を散らしていた(Economist's View経由)。


まず、イースタリーがブログでロドリックのProject Syndicate論説の以下の文章とそこから導かれた結論に噛み付いたのが事の発端。

the countries that have produced steady, long-term growth during the last six decades are those that relied on a different strategy: promoting diversification into manufactured … goods

(拙訳)過去60年間に安定した長期の成長を遂げた国は、別の戦略に頼っていた国である。すなわち、製造業の製品に分散化を図るという戦略である。

この事実からロドリックは、近代的な産業の製品の生産が発展途上国にとっては重要であり、従って発展途上国は真の産業政策に取り組むべきで、WTOなどの国際機関もそれに寛容になるべき、と主張している。


イースタリーはこの推論の誤りを、イスラム教徒の家族が飛行機から降ろされたという事件を例に用いて説明する。
その事件が発生したのは、イスラム教徒はテロリストだという他の乗客の先入観があったためである。しかし、実際には、イスラム教徒に占めるテロリストの割合は極めて小さい。他の乗客たちは、テロリストにはイスラム教徒が多い、という条件付き確率を逆さに考えてしまったのだ、というのがイースタリーの解説である。


同様に、過去60年間に安定した長期の成長を遂げた国が産業政策を取ったからといって、産業政策を取った国が長期安定成長を遂げるとは限らない。そもそもアフリカや中南米で産業政策を取ってうまく行かなかった国がたくさんあるではないか、というのがイースタリーのロドリック批判のポイントである。


このイースタリーの批判に対し、ロドリックはコメント欄で反論した(イースタリーはそのコメントを改めて別エントリに移している)。
ロドリックはそこで、産業政策の有効性を示すというよりは、産業政策が無効だ、という議論に反駁するのが目的だったのだ、と述べている。つまり、喩えは悪いが、イスラム教徒にテロリストはいない、という議論に反駁するために、実際にイスラム教徒のテロリストの例を示したのだ、というわけである。


イースタリーはこのコメントに対し、公開書簡の体裁を取った別エントリで、産業政策が国によって効く場合もあれば効かない場合もある、というのでは、その政策を推進する意味がないではないか、と再反論した。そして、ワシントンコンセンサスを批判した以前の論文で、いわゆる成長政策の専門家による一般的な政策が効果がないことを示したロドリックが、まさにその専門家を動員するような政策を推奨するのはどういうわけだ、と難詰している。同時に、自分はそうした専門家の道ではなく、彼のいわゆるサーチャー(この言葉自体は使っていないが)の道を行くのだ、と決意表明している。


産業政策については小生も以前ここで自分の考えを書き連ねたことがあったが、確かにその効果について統計的に有意な結果を得るのは難しかろうと思う。しかし、だからといって一概に駄目と決め付けて捨て去るのも少し早計なような気もする。