ドイツ人経済ブロガーがいない10の理由

というブログ記事をフェリックス・サーモンが上げていた。面白いので全部訳してみる*1

ロイターに移籍して*2一番わくわくしたことの一つは、とてもブログっぽくかつ本当の国際経済金融ウェブサイトを作り上げようとしていることだ。ブログっぽいというところが、僕を熱狂させる点だ。でも国際というところはちょっとした障害になるかもしれない。というのは、金融と経済に関するブロゴスフィアは、海外では米国ほど発展していないからだ。


でもとにかく僕らはフランクフルトではなくロンドンから人材を拾おうとしている。英国の経済ブロガーは米国よりはるかに少ないものの、少なくとも英国人はブログが何かを漠然とでも知っているし、積極的な人もいる。将来英国で活発なブロゴスフィアが形成されるのは考えられないことではない。逆に、ドイツでそうなるとは僕にはとても想像できない。


なぜかって? 10個の理由を挙げよう。

  1. ブロゴスフィアは基本的に平等主義だ。若者や、完全に匿名な者までアルファブロガー(A-listers)になれる。半面、非常に尊敬される教授やエキスパートが無視されることがよくあるが、それは彼らがヘマを恐れすぎるか、あるいは単に退屈で注目されないためだ。ドイツは対照的に、基本的に階層的な社会だ。
     
  2. ドイツではとにかく資格がモノを言う。人々は様々な資格を得るために何十年も費やし、確かな資格を手に入れたら、皆に鐘や太鼓で知らしめる。あることについて発言しようとする時に資格の紙切れがないと、自分の意見を人に売り込む根拠がまるでないことになってしまう。同様に、読み手は書き手の言いたいことに注意を払う前に、発言者の資格が確かなものかどうかを気にする。ブロゴスフィアはそれとは正反対だ:意見は発言者の資格によってではなく、それ自身の価値によって判断される。
     
  3. 米国では経済ブログスフィアが活況の頂点に達しており、政策当局者の大部分が、少なくとも経済学的側面に関しては、ブログスフィアの意見に耳を傾けるところまで来ている。たとえば、自信家の大物であり、オバマ政権で最も重鎮の経済学者ラリー・サマーズだ。彼はブログをたくさん読んでいる。しかも有名な専門家のブログだけではなく、普通ならば政府の耳に声が届くことのない市井の人々のブログまで読んでいる。そうした人々の声にも敬意を払うというのは米国ならではであり、かつドイツ的とは言えない点だ。
     
  4. 偉大なブロガーになる技術というのは、偉大な経済学者や銀行家になるための技術とは随分違う。キャリア志向の強いドイツでは、どちらかを選べと言われたら、重要な職業上の技術の習得を、それほど重要でないブログの技術の習得に優先させるだろう。
     
  5. ブロゴスフィアでは、間違うこと、少なくともたまには間違うことがとても重要だ。もし間違うことがなければ、面白くなることもない。それがどの国でもブロゴスフィアに入る障害になる:人々は自分が馬鹿に見えるようなことを書くのを恐れるからだ。その恐れは特にドイツで強いだろう。ドイツでは公の発言は注意深く考え抜かれる傾向が強い。もし良く知らないことについて書こうとすると、その分野では常識とされることを見逃すかもしれない。もし熟知していることについて書こうとすると、間違えた場合に評判に非常に響く。
     
  6. ドイツは整然とした組織的で包括的なやり方を好む。それに対し、ブログっぽいやり方というのは、散漫でアドホックで捉えどころがない。
     
  7. ブロガーは自分を外部の観察者の立場に置くことを好む。彼らはアウトサイダーでいることに誇りを持ち、権力に対し真実を告げるという役回りを演じたがる。ドイツでは、アウトサイダーであると宣言するのは尊敬を集める方法とは言えない。そして尊敬を集めることは、多くのドイツ人が渇望していることなのだ。
     
  8. 米国のブログスフィアはテニュアを持つ経済学部教授に先導されているが、彼らは互いにアイディアを交換し議論することが何よりも好きだ。ドイツにはそれほど経済学部が多くないし、ジョージ・メイソン大学のようなブログを学界に広める温床も存在しない。
     
  9. ドイツ人は対価抜きに仕事しないし、ブログは仕事に良く似ている。米国人がブログから収入を上げるとしても、大抵は間接的な方法、つまりブログによる知名度の向上と宣伝効果によるものだ。ドイツのブログは知名度や宣伝面でそれほど効果が見込めないだろうから、発展する理由もあまりないということになる。
     
  10. ドイツ人は休暇をものすごく大事にする。ブログから休暇を取るのは難しい。


とはいうものの、僕はブログにとても熱狂的なドイツ人に数多く会ったし、彼らはドイツでブロゴスフィアが発展することを望んでいる。しかし、彼らでさえ、他の多くのブロガーが現れない限り自分でブログを始めようとは考えていない。つまり一番乗り問題を抱えているわけだが、それは克服がとても難しい代物だ。それに加え言葉の問題もあるので――英語で書くにしろドイツ語に書くにしろどちらも欠点がある――ドイツに面白い経済ブログスフィアが出現する可能性は極めてゼロに近いという気がしている。

このサーモンの意見もちょっと一方的かな、という気もするが(そこまで米国は平等主義と言えるのか?、経済ブログ界でもやはりPhDの有無がそれなりにモノを言うのではないか?、階層社会という点では英国もドイツに勝るとも劣らないのではないか?、等々)、一面の真実を突いていると思う。

日本ではブロゴスフィア自体は米国に引けを取らないほど(質はともかく量は)発達していると思うが、経済ブロゴスフィアは(質でも量でも)やはり見劣りするというのが偽らざる現状だろう。上の幾つかはその理由として日本でも当てはまりそうだ。例えば――

  • 発言者の資格にこだわる点[cf. このエントリ
  • 経済学者が面子にこだわるあまりブログでの発信を恐れる点
  • 経済学部自体が米国ほどは多くない点
  • 経済学者が対価にこだわる点[cf. このエントリで引用した某東大教授の発言]

*1:ちなみにこの人はlisticleは嫌いと言っていたのだが…。タレブの「成功」を見て考えを変えたのかもしれない。

*2:cf. ここ。この人の略歴はここここ参照。