経済学者の立ち位置の見取り図

12日エントリはてブで、経済学者のベン図かマトリックスがあれば良いのに、と言うコメントがあったので、ふと思い立ってとりあえず簡単なものを作ってみた。

切り口は単純で、縦軸が共和党支持vs民主党支持、横軸がニュークラシカル(新しい古典派)vsニューケインジアンの2軸。図中の経済学者の名前は取りあえず思いついた米国の大物学者しか書いていない。しかも、ニュークラシカルの人は皆シカゴ学派という雲でまとめてしまった。ただ、バローはロバート・ワルドマンが半塩水と評したのに敬意を表し、ニューケインジアン寄りに独立させてみた。
また、ほとんど定義により、第2象限(ニュークラシカルの民主党支持)は存在しないので、進入禁止のマークを立ててみた。


少し前に、財政刺激策を支持するか否かで米国の経済学界を二分する論争が巻き起こったが、こうしてみると、その切り分けは、ワルドマンがこだわるような淡水(ニュークラシカル)vs海水(ニューケインジアン)の切り口ではなく、ある意味オーソドックスな、共和党支持vs民主党支持という切り口がやはり自然のように思われる。唯一の例外が、財政刺激策支持でスティグリッツタッグを組み、“(共和党から)裏切り者の名を受けてすべてを捨てて闘う男”フェルドシュタインということになろうか*1


日本の経済学者をこの図に当てはめてみた場合、縦軸は政党支持というよりはカッコ内に書いたような政府の役割を認めるか否かということになろうが、第1象限に属する学者はあまり、というかほとんどいないのではないだろうか。もちろん政府の役割を強調する人は大勢いるが、同時にニューケインジアン経済学を信奉する人は見ないような気がする。逆に、ニューケインジアンのような「最先端」経済学を身につけた日本の学者で政府の役割を重視する左派系の人も、やはりあまり見掛けない気がする。12日エントリで紹介した土居=岩本論争が浮き彫りにしたのは、あるいはその不在だったのかもしれない。
その不在は日本の経済学者の問題なのか、もしくはニューケインジアン経済学の問題なのか、と考えた場合、Buiter論説からすると、実は後者なのか、という気がしなくもない。

*1:ちなみにEconlogのクリングはこのエントリで、財政政策に懐疑的な左派、財政政策を支持する右派を一人も知らない、と書いて、デロングにフェルドシュタインは雑魚ということか、と突っ込まれ、訂正している。