「まっとうな経済学」のティム・ハーフォードが、今月初めに表題のタイトルのFT記事を書いている(Marginal Revolution経由*1)。
内容は、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌスが始めたマイクロファイナンスが、商業化という曲がり角に差し掛かっているというもの。以下簡単に内容を紹介してみる。
- シティのような多国籍銀行、セコイア・キャピタルのようなベンチャーキャピタル、ヘリオス・キャピタルのようなプライベート・エクイティが利益事業としてマイクロファイナンスに乗り出している。
- 500年前にフランシスコ会がイタリアのペルージャでマイクロファイナンス事業を始めたことがあった。その事業の成れの果てが今の質屋。そう考えると、商業化に差し掛かった今は危険な瞬間と言える。
- メキシコのCompartamos社が株式公開したとき、ユヌスは激怒した。ユヌスからしてみれば、金利引き下げをせずに利益を拡大して上場への道を歩んだということは、もはやCompartamos社はマイクロファイナンスの側にはおらず、むしろマイクロファイナンスが当初から「敵」としてきた高利貸しの側に回ったことを意味する。
- ユヌスは自分の発明したマイクロファイナンス事業が汚されたように感じたのだろうが、その点をそれほど重視すべきではない、とNYUのJonathan Morduchは言う。質屋が本質的に罪深いわけではなく、マイクロファイナンスが本質的に崇高なわけでもない。重要なのは顧客への効果。しかし、その点の実証研究はまだまだ不足しているのが実情。
- イェール大のDean Karlanは、南アフリカのとある消費者金融会社の協力を得て、ローンが借り手に与える効果を調べた。すると、高金利にも関わらず、借り手の厚生を大いに改善する、という結果が得られた(この結果がMarginal Revolutionのタイラー・コーエンが注目した箇所)。もちろん、Karlan自身が警告しているように、この一回の実験結果から早急な結論を引き出すのは禁物であるが。
- マイクロファイナンスの特長とされてきた集団責任制度、および女性を主要ターゲットにするという方針も、近年はその実効性が疑問視されている。そうした面でも、マイクロファイナンスは曲がり角にあると言える。
- マイクロファイナンスでは、支援者の義援金、および余剰利益を、初等教育、移動図書館、法律扶助、保健サービスなど他の福利厚生事業に回してきた。しかし、商業化の波が押し寄せてきたら、それは難しくなるだろう。
- 商業ベースではどうしてもうまくいかない部分はある。上記の南アフリカの消費者金融の例では、対象は都市部の住人であり、商業ベースの対象となり得た。しかし、スーダンやエチオピアの小作農はそうはいかない。「すべての人は企業家だ」とユヌスは言うが、事はそう簡単ではない。
- 商業化により競争が生まれ、金利が引き下げられるという期待もある。しかしこの業界は透明性に欠けるという問題があり、そうした効果が抑止されてしまうかも。
- ユヌスはマイクロファイナンスという言葉よりマイクロクレジットという言葉を好むが、実際にはクレジット=信用供与だけでなく、ファイナンス=金融サービスも必要。つまり、貧しい人々には、ローンだけでなく貯蓄や保険も提供すべき。ただ、そうなると、政府の認可を受け企業統治のしっかりした組織になる必要がある。それが商業化が真に意味するところ、とCGAP(Consultative Group to Assist the Poor=マイクロファイナンスを対象とする独立系シンクタンク)のElizabeth Littlefieldは言う。
なお、大竹文雄氏のブログによると、先月末にまさにマイクロファイナンスの商業化をテーマとしたフォーラムが開催されたらしい。主催はLIVING IN PEACEという団体で、はてなにサイトがある。
*1:ただしこちらのリンク先記事は「Conflict of Interest」というやや素っ気無いタイトルになっているが、記事の中身は同じようだ。