いえ、黒澤や小津と並んで往年の日本映画を代表する監督の話ではなく、溝口善兵衛の話。
昨日のエントリへのokemosさんのコメントに応えながらこの論文を読み直していて、以下の一節が目に留まった。
A rigorous model of monetary policy in the face of imperfect substitution is difficult to construct (if only because one must derive that imperfection somehow). But a shortcut may be useful. Consider, then, the case of foreign exchange intervention – purchasing foreign bonds in an effort to bid down the currency. And let us look back at Figure 5, which illustrates how a liquidity trap can occur even in an open economy, because the desired capital export even at a zero interest rate will be less than the excess of domestic savings over investment.
What would the central bank be doing if it engages in exchange-market intervention in such a situation? The answer is that in effect it would be trying to do through its own operations the capital export that the private sector is unwilling to do. So a minimum estimate of the size of intervention needed per year is "enough to close the gap" – that is, the central bank would have to buy enough foreign exchange , i.e. export enough capital, to close the ex ante gap between S-I and NX at a zero interest rate. In practice, the intervention would have to be substantially larger than this, probably several times as large, because the intervention would induce private flows in the opposite direction. (An intervention that weakens the yen reinforces the incentive for private investors to bet on its future appreciation).
Here is some sample arithmetic: suppose that you believe that Japan currently has an output gap of 10 percent, which might be the result of an ex ante savings surplus of 4 or 5 percent of GDP. Then intervention in the foreign exchange market sufficient to close that gap would have to be several times as large as the savings surplus – i.e., it could involve the Bank of Japan acquiring foreign assets at the rate of 10, 15 or more percent of GDP, over an extended period. (Incidentally, does it matter if the interventions are unsterilized? Well, an unsterilized intervention is a sterilized intervention plus quantitative easing; the latter part makes no difference unless it affects expectations).
Thinking about the liquidity trap
そこで改めて思ったのが、結局、溝口財務官時代ってこれをやったんだな、ということ。
そういえば、当時、この溝口財務官の為替介入と国際収支についてichigobbsに書いたことがあったな、とサルベージしてみて、小生が書いた(と記憶している)以下のレスを見つけた*1。
714: 名無しさんの冒険 2004/05/19(Wed) 01:09
>>709
経常収支=貯蓄投資差額は一国のマクロ経済全体で成立する話なわけで、政府レベルで成立する話では無い。
貯蓄投資差額=経常黒字額=資本赤字額+外貨準備赤字額
なので(ここでは誤差脱漏を無視)、貯蓄投資差額が一定で外貨準備赤字額が増えれば、必然的に資本収支赤字額が減少し、場合によっては今回のように黒字化する。
見方によっては、経常黒字が減らないように為替介入をした結果、経常黒字で稼いだ外貨のみならずネットで流入となった資本の外貨まで通貨当局が円をファイナンスした格好。
外貨準備で入ったドルは米国債に回るので、結局、民間の資本赤字の主体が代わっただけと言え、その意味では広義の資本収支と考えられる。
http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/economy/0887/714
これは、国際収支会計に関する質問があったので、その回答として書いた。…といっても、基本的な回答は銅鑼さんを初めとした方々によって既にこれより前のレスで済んでいたのだが、それらを質問者がいまいち理解していなかったようなので、自分なりに言い直しただけであるが。
当時は気づかなかったが、内容的には、上のクルーグマンの引用部分と同じことを言っている。つまり、クルーグマンが1999年に仮説として書いたことが、結局、2003年に本当に実現されていたわけだ。
実際の数字を見てみよう。財務省のHPのデータからこのあたりのグラフを作ってみると以下のようになる。
2003年度の外貨準備赤字額は34兆円と、クルーグマンのいうGDPの10%までは行かないが、およそ7%に達していたことが分かる。
ただ、この巨額の介入は、クルーグマンの言うような「over an extended period」というわけにはいかず、この年だけの特異な出来事だったこともこのグラフから分かる。
また、2002-2004年の月次の外貨準備増減(出所:ここ)と為替レート(出所:Yahoo!ファイナンス)を描いてみると、この介入は為替の減価をもたらすには程遠く、円高を緩和するのに精一杯だったことが読み取れる。さらに、同じ期間の外貨準備増減とマネタリーベース(出所:ここ)を比較してみると、前者が後者を押し上げたようには見えない*2。むしろ、グラフからは、マネタリーベースが伸びた後に介入が増えているようにさえ見える(そんな因果関係は無いはずだが…)。
従って、この巨額の為替介入が景気回復につながったのだとしても、それは為替や量的緩和の経路ではない。すなわち、この介入は、上記で引用したクルーグマンの文章の第一段落にある「bid down the currency」も実現せず、第三段落で言及されている「quantitative easing」ももたらさなかった(そもそもクルーグマンは期待に影響を与えなければquantitative easingも意味がないと述べている)。
その代わり、第二段落にある「export enough capital, to close the ex ante gap between S-I and NX at a zero interest rate」については、良い線を行ったように思われる。つまり、資本収支を黒字化することでS-Iを縮小したわけだ(資本収支の大宗は投資収支なので、Iを増やしたことになる――ただしあくまでもex anteの話なので、GDPにおける設備投資の形ですぐに現れるような投資ではなく、その多くが証券投資だったろうが*3)。もしこれが景気を回復させたのだとしたら、あまりこれまで議論されてこなかった意外な経路経由で回復がやってきていた、ということになるのかもしれない*4。
ちなみに、少し前に田中秀臣氏もこのあたりについて書いているほか、ご本人の回想もネット上で読める。ご興味のある方はどうぞ。
P.S. 上の話と直接関係ないが、上記で引用したichigobbsの同じスレの少し後に、やはり小生が書いたと記憶しているレスがあったので、序でに転載しておく(クルーグマンのMAM=Massachusetts Avenue Model絡みの話)*5 *6。
716: 名無しさんの冒険 2004/05/19(Wed) 02:14
経常収支話が出たので過去のスクラップ帳をめくっていたら、1994年11月28日の日経ビジネスにクルーグマンが寄稿している記事をハケーン。そこでは
「…ここから2つの興味深い反応が生じた。1つは、日本の経済学者を中心に、貿易不均衡は投資(I)と貯蓄(S)のギャップがもたらすもので、IとSのバランスを変えない限り為替レートをどう変えても不均衡はなくならない、という反論が出たことである」
と書いている。これなんかは小宮理論が当時の日本の経済学者を如何に浸透していたかの良い例だ罠。
ただ、クルーグマンは同じ記事の中で、この考え方に反論する形でマサチューセッツアベニューモデル(MAM)を紹介している。
ちなみにhttp://www.pkarchive.org/column/32600.htmlでは彼の考え方が分かりやすく書かれているが、巨額の経常収支不均衡は永遠に続かないものなので、"If something cannot go on forever, it will stop." の法則に従って為替レート変化を伴って調整されるだろうとの由。
(ただ、オーストラリアはどうなんだ、という話も最近苺にあったな…)
苺の過去ログをぐぐってみると、銅鑼師匠が「一般の経済常識の誤り」74で、MAMモデルは循環的経常収支に当てはまるが、趨勢的経常収支はやはりISバランスで決まる、というふうにうまくまとめておられますね(ただ、経常収支をこのように「趨勢的」「循環的」に分けた小宮氏の考え方がどこまで標準的かは議論の余地があるような気もするが…)。
http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/economy/0887/716
728: 716 2004/05/19(Wed) 22:53
>>721
本人の名誉のために(?)一応補足しておくと、その日経ビジネスの記事でも「米国に円高政策は無かった」として、米政権に為替レートを動かす力や意図があったという見方を一蹴している。曰く、「私も日本の対米黒字はドル建てで見ても早晩縮小傾向をはっきり示すとみているが、そう考える人たちが政権内にいるということと、円高政策があるということとは違う。」
また、最後の方では序でと言う感じで戦略的通商政策に対する批判も書いている。
http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/economy/0887/728
P.S.2 本題とはさらに関係ないが、少し前にichigobbsがドメインの期限切れで見られなくなったとき、kmoriさんが、hostsに
122.212.252.67 www.ichigobbs.net
と書けば見られるようになる、と皆に教えてくれたことがあった。それはそれで解決したのだが(その後ドメインも更新された)、その時不思議に思ったのが、だったらhttp://122.212.252.67でもつながるはずではないか、と思い試してみたら、別のサイト(Machi-BBS)に行ってしまうこと。何かIPアドレスのからくりがあると思うのだが、良く分からなかった。…どなたかご存知ですか?
[12/1:クルーグマン論文の引用部分やグラフの追加、および文言の追加・修正をしました]
*1:なお、途中でレス削除があったようで、文中のレス番号が現在のものと2個ずれているので、以下では現在の番号に合わせて修正している。
*3:実際、この統計では2003年度のネットの対内証券投資額が1989年度以降で最大となっている。
*4:なお、こうした為替介入による海外投資家への円のファイナンスが、そもそもの量的緩和と相俟って過剰流動性を生じせしめ、それが円キャリー取引を通じて世界に広がり、ひいては金融危機の原因になった、という人もいる。個人的には、そうした議論は、風が吹けば桶屋が儲かるの感が拭えないのを別にしても、供給した流動性でバブルが発生した尻まで日本が引き受けるのは自虐的に過ぎるような気がする。もしそれらの流動性が有意義に使われていれば、感謝されこそすれ文句を言われる筋合いは無かったわけだ。いずれにせよ、使い道を決める立場にあったのは日本ではない。
別の喩えをするならば、パリス・ヒルトンが奇矯な人間になったのは、お金持ちの娘に生まれておカネがたくさんあり過ぎたことが一つの原因かもしれないが、最終的にはあくまで自己責任、と考えるのが社会のルール。実際、お金持ちの娘が皆パリス・ヒルトンのような人間になるわけではない。
*5:上と同様、文中のレス番号を現在に合わせて修正した。