ロバート・シラーの告白

Economist's Viewで紹介されていたロバート・シラー告白は新鮮だった。


内容は、米住宅バブルに対し、なぜグリーンスパンを初めとした各機関や大学の経済学者が警告を発しなかったか、という疑問について。誰も気づかなかったならともかく、世間一般では、これはおかしい、という観測が広まっていたのに、なぜ経済学者たちは黙っていたのか。


シラーは、それは彼らが集団思考に捕らわれていたから、と説明する。


シラー自身は、住宅バブルの危険性を、2005年の「根拠なき熱狂」の第2版などで警告したが、その際、学界のコンセンサスから外れることによる孤立感を感じたという。

While I warned about the bubbles I believed were developing in the stock and housing markets, I did so very gently, and felt vulnerable expressing such quirky views. Deviating too far from consensus leaves one feeling potentially ostracized from the group, with the risk that one may be terminated.


シラーはそうした投機バブルに関する懸念と予測を行動経済学に基づいて進めたが、行動経済学は、未だ経済学の中で周辺分野に過ぎない。つまり、経済学界では、行動経済学が扱う心理ではなく、合理性を重んじる経済学が今も主流である。多くの経済学者は、そうした主流派の権威主義に傾いたがために真実から目を逸らした、すなわち、(集団思考という概念を展開した)ジャニスの分析がまさに当てはまる状況に陥った、というのがシラーの見解である。

In addition, it seems that concerns about professional stature may blind us to the possibility that we are witnessing a market bubble. We all want to associate ourselves with dignified people and dignified ideas. Speculative bubbles, and those who study them, have been deemed undignified.
In short, Mr. Janis’s insights seem right on the mark. People compete for stature, and the ideas often just tag along.


ともすれば「米国の最新の研究では…」「あの権威ある経済学者の言うことでは…」と出羽の守となりがちな日本の経済学者とは違い、米国の経済学者と言えば、大勢に阿らず独自の考えを主張して突き進んでいく、というイメージがあったが、これを読むとやはり大多数はそうではなく、シラーのような高名な経済学者ですらそうすることにプレッシャーを感じていることが分かる。このエッセイのタイトルも、いみじくも「Challenging the Crowd in Whispers, Not Shouts」となっている。

(…そうしてみると、自説を枉げずに「shrill」に主張する、としばしば評されるクルーグマンはやはり偉いんですね。)



[追記]マンキューもこの記事を取り上げた。