幼年期の終わりと生産性

一昨日ケインズの「わが孫たちの経済的可能性」を取り上げた際に、「これってかなりSFちっくな話だったのね」という感想を書いた。
その後、そういえば、SFを題材にして生産性が極端に上昇した場合の思考実験をどこかに書いたことがあったな、と思ったらここだった。
読んでいただければわかる通り、小生が、自分なりのリフレ主張を引っ提げて単身(?)ノグラボフォーラムに乗り込んだ時のコメントである。


(以下再掲)
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投稿時間:2005/06/24(Fri) 22:39
投稿者名:暇人
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タイトル:ノグラボの中心で、リフレをさけぶ

野口先生の説では、日本企業の生産性が落ちたのが不況の原因だとのことですが、それならばインフレ+円安になっているはずではないでしょうか?日本人がアウトプットに見合わない高い収入を得ているのであれば、円の価値は下がるはずですし、供給を上回る需要が発生していると思います。また、国際的に要素価格均等化の方向に経済の力が働くのであれば、日本の労働力単価と中国のそれを等しくする方向、すなわち元高+円安の方向に為替レートが進むと思います。しかし、現実には逆、すなわちデフレ+円高の方向に進んだわけですから、これはむしろ、製造業がこれまで野口先生のご教示とおり生産性を高める方向に構造改革の努力に邁進し、その結果国内に需要を上回る供給が存在していると捉える方が自然ではないでしょうか?(実際、原田泰さんの最近のエコノミストの記事によると、90年以降の生産性の伸びは日本が米国を上回っていたと言いますし。)
さらに言うならば、生産性を高めることが経済にとって常に良い、とは言い切れないのではないでしょうか? 極端な思考実験として、A.C.クラークの「幼年期の終わり」の宇宙人が日本だけにやってきて、現在の日本の生産活動を100人でこなせるだけの高度な生産技術を授けたとしましょう。その結果、その技術をマスタした100人以外は全員失業状態になります。この時の経済は、超恐慌とでもいうべき状態になるのではないでしょうか。



投稿時間:2005/06/27(Mon) 19:45
投稿者名:暇人
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タイトル:追伸(フィッシャー方程式)

リフレ派と、野口先生、斎藤誠先生、小林慶一郎氏をはじめとする反リフレ派の争点の一つに、フィッシャー方程式をどう捉えるか、というのがあると思います。すなわち、
  名目金利=実質金利+期待インフレ率
というフィッシャー方程式で、期待インフレ率が固定的と考えるのがリフレ派、実質金利が固定的と考えるのが反リフレ派ということになるかと思います。しかし、実質金利が固定的と考えると、名目金利を上げれば期待インフレ率が上がるという妙なことになるかと思います(実際、斎藤先生や小林氏はそれに近いことを主張されていますが)。
リフレ派でも固定的な実質金利を考えていますが、それは均衡実質金利とか自然利子率とか呼ばれていて、フィッシャー方程式の実質金利とは区別されています。大雑把にいうと、前者(均衡実質金利)はモノの魅力度を、後者(実質金利)はカネの魅力度を表すと言えるかと思います。この両者(=カネとモノの魅力度)がバランスしていると、貯蓄と投資、需要と供給がバランスし、期待インフレ率もゼロとなります。しかし、カネの魅力度がモノのそれを上回った状態が長期に続くと、カネの価値が上昇する傾向が定着し、期待インフレ率がマイナスとなります(=期待デフレが定着した状態)。そうなると、名目金利をゼロにまで引き下げても実質金利(=名目金利−期待インフレ率)は高止まりし、それが均衡実質金利を上回っていればさらにデフレが進む、という悪循環が生じます。これが世に言うデフレスパイラルです。だからリフレ派はデフレを止めることを最優先に掲げているのです。
一方、野口先生が主張されているのは、この文脈で言えば、均衡実質金利を上げよ、ということになるかと思います。ただ、単に供給力を強化して今までと同じモノをたくさん生産できるようになっても、それはむしろモノの魅力度を低めて均衡実質金利を下げる方向に働くから、日本独自の希少価値のあるものを生産できるようになれ、ということかと思います。
どちらにせよ、最終的にモノとカネのバランスを回復できればOKかと思いますが、長期的にはなんとやら・・・。
なお、不景気の危機感がある時に構造改革を進めないと、と反リフレ派の方々は良く主張されますが、むしろ、たとえばNTTやJRの民営化も好景気の時に実施したからこそ上手くいった、という側面があると思うのですが・・・。
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(再掲終わり)


幼年期の終わり」を持ち出して「生産性を高めることが経済にとって常に良い、とは言い切れない」と言ったのは極論かもしれない。小生は、経済成長なんていらないという論には決して与しない。だが、当時、生産性のためには失業が増えてもかまわないという生産性至上主義ともいうべき言説が下記のように池田信夫氏によって唱えられており、それが念頭にあってそのような極論を書いた。

インフレ目標」を推奨し、「構造改革」を否定する議論が本書の大部分を占めているが、まあインフレ目標でデフレが克服できたとしよう。So what? それで日本経済の本質的な問題が解決するのだろうか?著者は「インフレ目標では生産性は向上しない」と正直に認める。だとすれば向上させるにはどうすればいいかを論じるのが当然だろうが、そこで著者は「生産性が向上しても、デフレ・ギャップがあってはGDPは上がらない」と話をすり替える。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/noguchi.html

九〇年代のようにずるずると「敗戦処理」をするより、すべてを清算して一から出直すほうが社会的コストは小さいのだ。第二の敗戦といっても、本物の敗戦に比べれば大したことはない。いま日本に必要なのは、バブルの戦犯を「公職追放」し、不良債権に象徴される古い企業系列を「財閥解体」して、いったん「焼け跡」になってみることではないか。職を失う人も出るだろうが、組織の束縛のない焼け跡は意外に明るいかもしれない。

http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/Dower.html

したがって、この問題のモデルは米国のS&L(貯蓄組合)よりも社会主義国市場経済化に求めたほうがよい。たとえば中国の成長の原動力は、国有企業の改革ではなく、1970年代以降に生まれた「郷鎮企業」だった。われわれの直面している課題も、既存の銀行や企業を構造改革することではなく、不良債権とともに半国営の不良企業を一掃し、新しい企業の創造的破壊によって日本の「市場経済化」を進めることである。

これは一時的には大規模な不況や失業をともなうかもしれないが、恐れるには当たらない。日本人は歴史上、何度も大戦乱を経験してきたが、その廃墟から立ち直るときには驚異的なエネルギーを発揮した。第2次世界大戦で半減したGDPを戦前の水準に戻すのに、たった6年しかかからなかったのである。好むと好まざるとにかかわらず、日本経済がいったん「焼け跡」になることは避けられそうにないが、それは日本が再生する出発点となるかもしれない。

構造改革は無効?

(3番目はHotwiredに書いたものと思われるが、原文が存在しないため、転載サイトから引用した)


なお、極端な生産性の向上という思考実験では大失業、大恐慌が起きるだろうと書いたが、そうした混乱状態が収まって所得配分がうまくいけば、あるいは、ケインズが「わが孫たちの経済的可能性」で描いたようなユートピアがその後に出現するのかもしれない。逆に言えば、そのような極端な生産性の向上によって経済がリソースの制約から解放されるまでは、ケインズの思い描いたようなユートピアが現れることは無いだろう*1

*1:尤も、Hicksianさんの10/25エントリで紹介された論文集によると、その場合でも人々は自己実現のために働き続けるだろう、という意見があるようだが。