マンキュー on 金融危機対応

今日はマンキューブログから金融危機関係のエントリを3つ取り上げてみる。

Ben. Why didn't you tell me?

本ブログの以前のエントリで、マンキューが今回の金融法案についてあまり意見を発信しておらず、態度を決めかねているようだ、と書いた。その理由が、彼の数少ない意見表明(9/26エントリ)によると、バーナンキに対する信頼感にある、ということも書いた。

ただ、その後もバーナンキがあまりにも何も言わないので、マンキューもしびれを切らしたのか、1週間前のエントリでは、彼にこの件に関しきちんと説明して欲しい、と呼び掛けている。クルーグマンのようなブッシュ嫌いの左派系エコノミストバーナンキのことは尊敬しているのだから、そして、良ければマンキュー自身がそうしたバーナンキによる説明の場を設けるから、とまで書いている。
だが、続きのエントリが(今のところ)無いところを見ると、ベンは相変わらずだんまりを決め込んでいるようだ(少なくとも全米企業エコノミスト協会での講演はマンキューの期待に応えるものではなかったのだろう)。となると、レイアに呼びかけるしかないのか…というのはこちらの話ですね(ちなみに小題もそこからの引用)。


マンキューの資本注入案

また、マンキューは、8日のエントリで、資本注入に関して論じている。彼は、共和党エコノミストらしく、政府による資本注入には否定的である。その理由は以下の3点。

  1. どの企業を助ければ良いか政府は分からない。
  2. 適正価格が分からない。
  3. ウォール街社会主義ちっくになるのは嫌だ。

彼としては、バフェットがもっとたくさん現れるのが理想のようだ。ただ、今の状況でそうした人々が自発的に現れるのを悠長に待っているわけにはいかないので、何とかして民間の資金を銀行の資本注入に仕向ける方策を講じる必要がある。マイケル・ムーアが言うようにある程度強制的に仕向けられれば良いが(マンキューはそれをトニー・ソプラノ・アプローチと呼んでいる*1)、それはもちろんマンキューの信条に反する。
そこでマンキューが提示するアイディアは、民間の資金の出し手が現れたら、政府が同額だけ出資する、というものだ。ただし政府の出資分は議決権を持たないものとする。この方法だと、

  1. どの企業を助けるのかは政府ではなく民間が決める。
  2. 価格も民間が決める。
  3. 政府ではなく民間が支配権を持つ。

ということで上記の政府の直接出資のデメリットがすべて解消する。また、金融機関側にしてみれば、民間出資者に提供をお願いする資金の額が必要額の半分で済む。言ってみれば、案件ごとに官民折半出資の投資会社を作る形で基金を運用する、ということになろう。


この案について率直な個人的な感想を述べると、米国に根強い政府アレルギーを抑止するための糖衣を被せた弥縫策という気がする。出資先の選定と支配は民間側に全面的に委任するのに、その民間の出資者を政府が選定するわけではない点は、少しちぐはぐだと思う。この案では、政府はいわば呼び水としてそういう出資者が現れるのを待つだけである(でも結局は同額出資する)。
民間の出資=善という考えが背景にあるわけだが、出資者のスクリーニングや制度設計に気をつけないと、悪どい出資者が銀行側と共謀して政府側資金を騙し取る恐れもあると思われる。


資産買い取りと資本注入

なお、マンキューは、少し前のエントリで、政府が資産買い取りと資本注入を合わせ技で行なう、という案を検討したことがある。彼が俎上に乗せたのは、政府が資産買い取りの際に実勢の取引価格より高く買い取る(=プレミアムを支払う)と同時に株式を受け取る、というNYタイムズコラムニストのレオンハートの案である。
マンキューの匿名の実務界の友人は、この案はモジリアニ・ミラーの定理からすると意味がない、と批判したが、時間を買う、という観点からすれば意味が無いわけではない。現在プレミアムを支払うことによって窮状をしのがせ、市場が正しく評価できるようになってから株式の値上がり益でそのプレミアムを精算する、ということだ*2
マンキューは、バフェットがゴールドマンに出資した時にワラントを購入したのも同様の話、と指摘しつつも、資産買い取りの際のオークションが難しくなる、ということでこの案に否定的な見解を示している。バフェットの場合はオークションなどせずに自分で資産査定して出資したので、そうした問題は発生しなかったが、財務省が資産を買い取る場合にはオークションという客観的な手法を使う必要があるので、そのプロセスを徒らに複雑化するのは良くない、というわけだ。

*1:日本で言う奉加帳増資か。ただし、マンキューはマイケル・ムーアのような民間の資金の出し手側への強制ではなく、受け手である金融機関側への増資の強制を想定している。

*2:現時点で資産の適正価格が不透明なので(それがそもそも現在の市場の混乱の原因)、高く買い過ぎたとしても、いくら高く買い過ぎたかは今は分からない。それを市場が落ち着いた後にその市場が付ける価格で精算させる、というのは優れたアイディアに思える。一方、マンキューの実務界の友人は、財務省が適正価格で買う、ということを前提に批判している。つまり、以前のエントリに書いたように、実務界の人が、今は市場ではなく政府が適正価格を付ける、と考えているわけだ(当該エントリにはその小生の解釈を疑問視するブコメが付いたが、確かに原文を読んでいただかないと信じてもらえない話かもしれない)。
このように、普段は政府をなるべく閉めだして自分たちの面倒は自分たちで見る、と大きな顔をしている市場関係者が、こうした非常事態になると、市場より政府の目利きを信用する様は、この映画で侍が来たときは家に閉じこもって出迎えなかった癖に、菊千代(三船敏郎)が板木を叩いた途端に「お侍様〜」と憐れな声を張り上げて駆けずり回った農民を想起させる…というのは少し皮肉に過ぎるか。