昨日取り上げたワルドマンのブログエントリだが、それを紹介したEconomist's Viewの方でもコメント欄で面白いやり取りが見られる(ワルドマン自身が応答を書き込んでいる)。
Tom Palley says...
The economic theory that the public knows is the ordinary textbook. By that standard Buchanan's criticisms are entirely justified because textbooks still sell the basic message of general equilibrium theory. In macro it is called the natural rate of unemployment.If economists were dentists or doctors they would face a class action suit from former students for misrepresentations. That seems to be the implication of Robert Waldman's piece.
The trouble with Mr. Waldman's piece is he has a gripe with "economic theory", when the real problem is the economists who populate economics. It's the awful sociology of the profession and its deep intellectual intolerance that needs to be exposed. Pointing to a few enlightened margins of the profession & calling that economics does not wash with me.
Economist's View: "What's Wrong with Economic Theory as Presented to the Public?"
教科書に載っている経済理論が誤りというなら経済学者は集団訴訟に直面してもおかしくない、という指摘は面白い。確かに、教科書では教えている基礎理論について、50年前の理論だからそれに対する批判は無効、などと現役の経済学者に堂々と主張されても、こちらは鼻白むばかりだ。こういう状況は他の学問では考えにくいだろう。
ワルドマンは、この指摘に対し同意を示した上で、次のようなことを書いている。
Oh the point of my post (such as it was) was not that economic theory is no good (I think that but just felt obliged to admit that I think that when arguing that Buchanan was making invalid criticisms of economic theory). The problem, in my view, as in Palley's is with the sociology of the profession where inconvenient facts bow to elegant theories and elegant theories bow to simpler models and everything bows to ideology.
Still, it's not so important. Politicians don't listen to use anyway, they listen to lobbyists and wingnut welfare hacks instead.
Economist's View: "What's Wrong with Economic Theory as Presented to the Public?"
不都合な真実はエレガントな理論に屈し、エレガントな理論はより単純なモデルに屈し、すべてはイデオロギーに屈する、というのは蓋し名言。
(最後には、でもどうせ政治家どもは我々の言うことなぞ聞かないし、と投げやりなことも書いているが。)
また、別のコメントで、ワルドマンはイデオロギーについてこのように述べている。
When I wrote that ideology wins, I didn't mean that the profession reaches a consensus based on shared ideology. I meant that the profession reaches no consensus as we each stick to our preferred ideology.
For example, my views on economic policy are basically identical to those I had when I took my first economics course.
Economist's View: "What's Wrong with Economic Theory as Presented to the Public?"
経済学の勉強はその人のイデオロギーないし経済政策観に何ら影響を及ぼさない、ということか。
以前、マンキューブログのコメントで、政府がいつ介入すべきでいつ市場に任せるべきかを明確に示し、かつ経済学者が皆受け入れるような経済モデルはできるのか?(=それよって経済学者間のイデオロギーの違いが克服されるような経済モデルはできるのか?)という質問を書いたが、少なくともワルドマンのこれらの意見を読む限り、その見通しについては悲観的にならざるを得ないようだ。
まあ、ワルドマンはかなりひねくれた書き方をしているので(元々そういうひねくれた性格なのかもしれないが)、その主張もどこまで本気か分からない、という見方はあるかもしれない。そもそもワルドマンって誰?、という話もあるだろう。
しかし、成長理論で有名なポール・ローマーも、今回の金融危機を巡る経済学者の態度を取り上げ、経済政策の評価に当たってどこまでモデルに頼り、どこまでモデルに合わない事実を重視するか、という点で経済学者の意見が到底一致しない状況を浮き彫りにしている。
なお、ローマーはここで経済学者をモデル派(原理派)と現実派に分類しているが、それについては異論も多いようだ。ローマーのエントリに批判的なコメントが寄せられているほか、Econlogのアーノルド・クリング、二人のニュージーランドの経済学ブロガー(一人は大学、もう一人は民間の経済学者*1)が一斉に批判している。経済学者を区分けするに当っては、モデルに頼る頼らないという点だけでは無理があり、どうしてもやはり(ワルドマンが言うように)個々人の価値観の違いという点は無視できないだろう、というのがそれらの批判の主旨だ。
*1:いずれもこれを紹介したマンキューブログにリンクを張っている。マンキュー自身の意見は書いていないが、Economist's View経由で知ったとのこと。