経済学者vs物理学者・その3

一昨日昨日のエントリで、「複雑系」で描写された経済学者と物理学者の20年前の対話について紹介した。今では経済物理学という研究分野もできているので、両者の意思疎通は当時より進んでいるのだろうか? Economist's Viewで紹介されたこのブログエントリによると、残念ながらそうではないようだ。


これが書かれたAngry Bearというブログは集団ブロガーによるものらしいが、このエントリを書いたのはロバート・ワルドマンというローマ・トル・ベルガタ大学に勤める経済学者。
彼は、ニューヨークタイムズマーク・ブキャナンという物理学者が寄稿したコラム*1を取り上げ、経済理論の現状を知らない門外漢が、50年前の経済理論を前提に頓珍漢な経済学批判を書いたもの、という攻撃を加えている。


ワルドマンによると、教科書に載っているような50年前の経済理論では、非現実的な仮定に基づいて静態的な均衡を導出しているが、現在の経済理論ではそうした仮定は弱められ、均衡ももはや静態的なものではなくなっている。ブキャナンはそうした経済理論の進歩をまったく知らずに、あくまでも50年前の経済理論を前提に、理論経済学者に批判的な記事を書いている、というわけだ。


ワルドマンは、返す刀で同僚の経済学者も批判している。その批判のポイントは、彼らは、非経済学者に話す時は、50年前の経済理論が今も有効であるかのように振舞うが、同時にそれは嘘だとも知っている、という点である。彼によれば、リバタリアンの経済学者は、レッセ・フェール政策が正しい、という結論が現在の経済理論からは導かれないことを知っているくせに、そう主張する、とのことだ。


このように、部外者の経済学批判に対しては現在の経済理論の進歩を持ち出して反論し、同時にそうした部外者に対する啓蒙を怠ってきた同僚の経済学者を批判する一方で、ワルドマンは、彼自身は経済理論そのものを――50年前のも現在のも――評価していない、ということも強調している。というのは、50年前の経済理論は前述の通り仮定があまりに非現実的で、そこから導き出される政策的含意が信用できないし、現在の経済理論からはそもそも政策的含意が出てこない。


いろいろなことを同時に書こうとしているので、このエントリはかなり混乱しているように読める。実際、そう指摘したある経済学者のコメントに対し、率直に混乱を認めている(それを認めたこのコメント自身も相当混乱しているように見受けられるが…。ひょっとして酒でも飲みながら書いているのか?)。


こうしたワルドマンの混乱は、昨日引用した以下の文章に描かれた態度そのままである。

彼らは、身内どうしでは、何の抵抗もなくその分野の欠点について不満を述べていた。…だが部外者の集団から同じことを聞こうなどと、だれが思おうか。

…どうやらこの文章で描かれた会合から20年経っても、経済学者と物理学者の距離はあまり縮まっていないようだ。

*1:なお、このコラムには次のような一節があるが、ひょっとしたらサンタフェの会合での出来事かもしれない。
「Something of the attitude of economic traditionalists spilled out a number of years ago at a conference where economists and physicists met to discuss new approaches to economics. As one physicist who was there tells me, a prominent economist objected that the use of computational models amounted to “cheating” or “peeping behind the curtain,” and that respectable economics, by contrast, had to be pursued through the proof of infallible mathematical theorems.」