インセンティブの学問・補足

昨日上げたエントリに関して、ほかの方のブログエントリを見て思いついた点を追記してみる。

昨日のエントリでは、

…合理的な個人を仮定してその問題を追究した結果、そのあたりの理論は一通りの完成を見た。あとは、合理的な個人という前提を外す、ということになるが、そうすると忽ちインセンティブの問題が立ち現れてくる。

と書いたが、はてなおとなり日記に表示されたHicksianさんの「福祉国家は逆効果!?」では、まさに合理的な個人の仮定では説明できないインセンティブの事例が紹介されている。


なお、合理的な個人にもインセンティブが無いわけではない。それが、利益*1の最大化、である。逆に言えば、基本的にそれだけなので、モデルに落とし込みやすい。ゴルゴ13よろしくひたすらその目的に突き進むことが仮定されているので、その目的関数を定式化すれば、あとは稲葉先生のエントリにある最適化という数学の問題に帰着する。
(…そのため、矢野さんの以前のエントリでやや偽悪的に議論されているように、「経済学って最適化問題の単なる応用だろ?」という意見も出てくるわけだ*2。)


一方、合理的な個人の仮定を外すと、モデル化が難しくなり、基本的には「データに訊く」しかなくなる。つまり、ヤバ経でやられているように、まずはデータを統計的に処理してそこから理論を導出する――従来の経済学のように高度な数学的モデルを構築して理論を導き出すのではなく――ことになる*3。仮に何とかモデルを作れたとしても、データを使用したカリブレーションは不可避で、合理的個人のモデルのように数学的演繹の積み重ねだけで理論を完成させる(Ex. アロー=デブリュー)のは不可能だろう。
Hicksianさんが紹介した例でも、行動経済学からの説明が試みられているものの、田中先生が提起された論点(「自尊心」という単なる利益では計れないインセンティブ!)などを検証するには、実際に生活保護を受けている人を調査するしかないだろう。

*1:正確には効用。

*2:ちなみに、以前のゲーム理論に関するエントリで参考文献に挙げた「はじめてのゲーム理論」では、若きサミュエルソンフォン・ノイマンに対し同様の挑発をしたというエピソードが紹介されている。それによると、ハーバードのセミナーで、フォン・ノイマンが、ミニマックス定理は数学の歴史の中でも考察されたことの無い新しい問題に解答を与える定理であり、経済学がまさに必要としているものであることを強調したのに対し、サミュエルソンが「制約条件付き最大化問題と同じで、哲学的にはともかく、本質的に新しい数学だとは思わない」と反論したが、「葉巻を一本賭けますか」と言われ、すごすご退散したとのこと。ただ、サミュエルソンは今でも自分の指摘が正しかったと信じているとの由。

*3:もちろん、その場合でも何らかの仮定ないし予測をおいてからデータを処理することになる。さもなければただのデータマイニングになってしまうので。