今回の経済危機によって効率的市場仮説(Efficient Market Hypothesis=EMH)が無効になったかどうかが問われている。
以下に、目についた論説をもとに、EMH無効派と有効派に論者を色分けしてみる。
<「EMHは死んだ」派>
- クルーグマン
- ジャスティン・フォックスの新著「The Myth of the Rational Market: A History of Risk, Reward, and Delusion on Wall Street」の書評(Economist's View経由)で、EMHやファイナンス理論全般に批判を加えている。
- ジョン・クイギン
- Willem Buiter
- このエントリ参照。
<「EMHは健在」派>
- スコット・サムナー
- このエントリ参照。
- クリス・ディロー
- このエントリで紹介したように、Investors ChronicleのサイトでEMH擁護の論説を書いたほか、自ブログStumbling and Mumblingで最近もEMH擁護のエントリを書いた。
- ロバート・ルーカス
- エコノミストでの経済学批判への反論(池田信夫ブログ経由)。
- リーマンショック時の株価暴落を経済モデルは予想できなかったが、これからも予想できるようになることはないだろう。それはまさにEMHのためである*1。
- このルーカス論説に関しては、Economist's Viewで紹介されているように、Mark Thoma自身を含む幾人からかリジョインダーが出ている。EMHに関係するところでは:
- タイラー・コーエン:
EMHを前面に持ち出しても、経済学の失敗は糊塗できない。ファイナンス理論の文脈で言えば、我々はシステマティックリスクを大きく見誤った。 - マーカス・ブルナーマイアー(Markus Brunnermeier):
裁定取引に制約をもたらすような各種の摩擦がEMHの失敗を招いた。
- タイラー・コーエン:
EMH擁護派に言わせれば、市場の価格にはすべての情報が反映されているため、誰も市場を(組織的に/長期に亘って)出し抜くことはできない。しかしそれは、その価格が合理的であることを必ずしも意味しない。これについてルーカスは以下のように述べている。
The term “efficient” as used here means that individuals use information in their own private interest. It has nothing to do with socially desirable pricing; people often confuse the two.
(拙訳)「効率的」という用語は、ここでは個人が自己利益のために情報を利用することを意味する。それは社会的に望ましい価格形成とは関係ない。人々はしばしばその2つを混同する。
この問題に関して、クイギンは、市場はmicro-efficientだがmacro-inefficientである、というサミュエルソンの言葉を引用している。個々のレベルでは確かに個人が市場を出し抜くのは難しい。だが、バブルの生成や崩壊があるということは、相場が総体的に行き過ぎかどうかは検知する術があることになり(ただしその行き過ぎがどの程度の期間続くか知る術は無いので、投資家がそれで金儲けをするのはやはり難しい)、従って資産価格適正化のための政策対応(金利引き上げなど)の余地がある、ということになる。
クイギンに言わせれば、しかし、そうしたサミュエルソンの見方は少数派に留まり、市場価格は真の資産価格の不偏推定値だ、というファーマ等の見解が、ファイナンス理論のみならずマクロ経済学でも90年代以降に幅を利かせるようになった。その問題点が今回浮き彫りになった、というのがクイギン等EMH批判派の立場なわけだ。