効率的市場仮説は死んだのか?

今回の経済危機によって効率的市場仮説(Efficient Market Hypothesis=EMH)が無効になったかどうかが問われている。

以下に、目についた論説をもとに、EMH無効派と有効派に論者を色分けしてみる。

<「EMHは死んだ」派>
  • ジョン・クイギン
    • ここで紹介したように、今年に入って「論破された/時代遅れになったドクトリン(Refuted economic doctrines)」シリーズというのをブログ上で始めており、その第一回の1/2エントリの対象がEMHであった。
    • 最近はそのシリーズを書籍化しようとしているようで、精力的にドラフト稿をブログにアップしている(EMH関連ではここここここここここ)。
<「EMHは健在」派>

EMH擁護派に言わせれば、市場の価格にはすべての情報が反映されているため、誰も市場を(組織的に/長期に亘って)出し抜くことはできない。しかしそれは、その価格が合理的であることを必ずしも意味しない。これについてルーカスは以下のように述べている。

The term “efficient” as used here means that individuals use information in their own private interest. It has nothing to do with socially desirable pricing; people often confuse the two.
(拙訳)「効率的」という用語は、ここでは個人が自己利益のために情報を利用することを意味する。それは社会的に望ましい価格形成とは関係ない。人々はしばしばその2つを混同する。


この問題に関して、クイギンは、市場はmicro-efficientだがmacro-inefficientである、というサミュエルソンの言葉を引用している。個々のレベルでは確かに個人が市場を出し抜くのは難しい。だが、バブルの生成や崩壊があるということは、相場が総体的に行き過ぎかどうかは検知する術があることになり(ただしその行き過ぎがどの程度の期間続くか知る術は無いので、投資家がそれで金儲けをするのはやはり難しい)、従って資産価格適正化のための政策対応(金利引き上げなど)の余地がある、ということになる。
クイギンに言わせれば、しかし、そうしたサミュエルソンの見方は少数派に留まり、市場価格は真の資産価格の不偏推定値だ、というファーマ等の見解が、ファイナンス理論のみならずマクロ経済学でも90年代以降に幅を利かせるようになった。その問題点が今回浮き彫りになった、というのがクイギン等EMH批判派の立場なわけだ。

*1:ウィリアム・イースタリーはこのブログエントリで、同様のことを述べている。