インセンティブの学問

今日も個人的な考えを書き連ねた雑文。


経済学とはインセンティブの学問だ、とは最近よく言われる話である*1。以前は、有限な資源を如何に配分するか、というのが経済学の中心的な課題だったが、合理的な個人を仮定してその問題を追究した結果、そのあたりの理論は一通りの完成を見た。あとは、合理的な個人という前提を外す、ということになるが、そうすると忽ちインセンティブの問題が立ち現れてくる。


インセンティブの問題とは、要は、いかに人間という益体もない存在――放っておけば怠けたり盗んだり挙句には殺し合いを始めるどうしようもない存在――を唆せてその気にさせ、悪さをしないで働いてもらうか、ということである。経営の現場のレベルでそうしたことを追究するとマネジメントの話になり、ドラッカーやら巷に溢れる自己啓発本やら部下との接し方やらの世界に話になるが、それをもう少し一般化した土俵で研究をしよう、というのが経済学の一つのトレンドになっている。


ちなみに、ケインズ経済学では、インセンティブを与えずとも自ら率先して働くエリートの存在が仮定されていた。それが、優秀な人間が上に立って経済を運営するというケインズハーヴェイロードの前提である。それをもう一歩進めて、優秀な人間が上に立って経済を運営すると同時に、役に立たない人間はちょっと別荘に入って矯正してもらうか、場合によっては眠ってもらう、というところまで行くと、共産主義ナチスなどの全体主義に陥る。
一方、優秀な人間が集まったところで市場の力には適わない、だから彼等も市場の中に入ってそこで力を発揮してもらおう、というのが、現在主流の市場主義経済の考え方である。


インセンティブの研究は、ミクロ経済学では一定の成果を収めたものの、マクロ経済学で目に見えるような革命をもたらしたかというと、(今のところ)そういうわけではない。最近は行動経済学やら神経経済学やらも登場して、必ずしも合理的ではない個人の意思決定を経済学に取り込もうという試みは続いている。だが、それらからケインズ経済学や新古典派経済学に代わる確立された経済理論が出てくるまでには、先はまだ長そうだ。

*1:たとえばこれ。

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]