ブランシャールとシタデルのÁngel Ubideが、ピーターソン国際経済研究所ブログの表題の7/15付けエントリ(原題は「Why Critics of a More Relaxed Attitude on Public Debt Are Wrong」)で、彼らが主張する財政赤字有用論に対する批判に反論している(H/T Economist's View) 。以下はその概要。
- 自分たちの主張は、低金利によって公的債務の財政的・経済的費用は下がったので、必要な需要の維持や、地球温暖化対策、改革の移行コストの補填、といった経済成長に親和性の高い施策に基礎的財政赤字を用いるべし、というもの。低金利とゼロ金利下限により金融政策に制約が掛かっているので、需要と経済活動の維持のために財政政策に依存することが必要になっている。上手く設計された財政政策は中立金利の上昇に寄与し、金融政策をより効果的なものとする。
- これに対する第一の批判は、ただでさえ政府は浪費の傾向があるのに、その主張はそれにお墨付きを与えるのではないか、というもの。確かに政府に行き過ぎを促す可能性はあり、それは良くないことである。
- ただ、債務が破滅的ではない時に恰もそうであるかのように振る舞うのは正しくない。遅かれ早かれ政府は債務が破滅的という命題を試してみて、それが間違っていることに気付くだろう。状況に応じてアドバイスを調整するとともに、自分たちの主張の限界も指摘するのが正しい姿勢。例えば我々は、日欧は需要維持のために基礎的財政赤字を継続するべき、と主張した一方で、米国の財政赤字と公的債務の見通しは最適経路から大きく外れているので、金融刺激策の限界を睨みつつ基礎的財政赤字を緩やかに減らしていくべき、と主張した。
- 第二の批判は第一の批判と同じ人からなされることが多かったが、今の低金利は長続きしない、というもの。しかし、実質金利の低下は金融危機に始まったわけでは無い。1980年代半ばから一貫して継続しており、人口動態といった構造的要因に因るところが大きい。金融危機が収まれば元の水準に戻るという観測もあったが、そうはならなかった。むしろFOMCや市場金利が織り込んでいる将来の金利は下方修正を繰り返している。
- とはいえ、金利上昇のリスクはある。しかし、そうしたリスクが存在するからといって、生産の低迷や高失業率と引き換えに公的債務を積極的に減らすべき、ということにはならない。あらゆる政策決定にはリスクが付き物であり、例えば銀行システムにおけるリスクを削減するために資本比率100%を要求したりしないのにはそれ相応の理由がある。