ブランシャールが自然失業率仮説の是非を取り上げた表題の論文(原題は「Should We Reject the Natural Rate Hypothesis?」)の結論部で、以下の2つの式を提示している。
y*(+1) = ay* + b(y - y*) (1)
π = c(y - y*) + Eπ ただし -x≦π≦xならばEπ = 0、それ以外はEπ = π(-1) (2)
自然失業率は金融政策とは独立である、という独立性仮説においては、次期の潜在生産力が今期の生産ギャップの影響を受けることはないため、(1)式のbはゼロとなる。逆に、金融政策が潜在生産力に恒久的な影響を及ぼす履歴仮説においては、bは正の値を取り、aは1となる。
一方、(2)式は、インフレ率が生産ギャップと期待インフレ率に依存することを示している。ここでインフレもしくはデフレがx以内に留まっている場合は、期待インフレ率は一定(ここではゼロに基準化)である。インフレもしくはデフレがxを超えると、期待インフレ率は1期前のインフレ率と等しくなる。従って、生産が潜在生産力から乖離するとインフレ率は加速していく、という加速仮説からの逸脱は、xの値が正であることによって表される。
ブランシャールは、自然失業率仮説を独立性仮説と加速仮説の合成仮説だとしている。両仮説が厳密に成立している場合(b=0, x=0)、ある期に生産ギャップy - y*≡Δがプラスになると、(2)式よりインフレはcΔだけ恒久的に上昇する。これはインフレと生産のトレードオフとしては望ましいものではない。
独立性の仮定を緩和し、bもaも正だとすると、ある期の生産ギャップの増加は将来の潜在生産力を
Δ(1 + b + ab + a2b + …) = Δ + (b/(1 - a))Δ
だけ増加させる。インフレの上昇は上と同じcΔなので、独立性仮説が成立しなくなったことにより、インフレと生産のトレードオフはより望ましいものになることになる。
では、加速仮説を緩和し、xを正とした場合はどうなるだろうか。過去のインフレ率がゼロだとすると、cΔがxを超えない範囲に収まっている限り、生産ギャップの増加は現在のインフレ率は上昇させるものの将来のインフレ率は上昇させない。従って、加速仮説が成立しなくなったことにより、インフレと生産のトレードオフはさらに望ましいものになることになる。また、両仮説を緩和した場合は、トレードオフはもっと改善する。
このトイモデルは多くの点で拡張の余地があり、また拡張すべきだが、全般的な結論は変わらないだろう、とブランシャールは言う。即ち、独立性仮説と加速仮説のいずれかが成立しなくなると、生産とインフレのトレードオフはより望ましいものとなる。ただし独立性仮説が成立しない場合、経済にとって逆風となるショックのコストが高くなる半面、安定化政策の威力が増す。また加速仮説が成立しない場合、インフレのコストをあまり伴わないで安定化政策を実行する余地が広がる。従って、トレードオフの改善とともに、ショックが存在する場合の安定化政策の役割は重要性を増す、とブランシャールは指摘する。
またブランシャールは、a,b,c,xの値や、より一般的な話としてどの経路が機能するかが分かっていることが望ましいが、論文の実証分析で示されたように現状はそれとは程遠いので、中銀は、自然失業率仮説をベースラインにするにしても代替仮説にも目配りする、という形で運営していくべき、と述べている。