マクロ経済学における歪み

「Distortions in Macroeconomics」という小論をブランシャールが書いている(H/T hicksianさんツイート)。

I shall argue that, over the past 30 years, macroeconomics had, to an unhealthy extent, focused on a one-distortion (nominal rigidities) one-instrument (policy rate) view of the macro economy. As useful as the body of research that came out of this approach was, it was too reductive, and proved inadequate when the Great Financial crisis came. We need, even in our simplest models, to take into account more distortions.
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Since the start of the crisis, DSGE models have been extended to allow for a richer financial sector, and integrate some of these distortions (for example, Gertler and Kiyotaki (2013)) But I feel we still do not have the right core model. Put another way, suppose that we were building a small macroeconomic model from scratch. What are, say, the three distortions we would deem essential to have in such a model, and, by implication, to have as the core of any DSGE model? What model should we teach at the start of the first year graduate course?
(拙訳)
過去30年間、マクロ経済学は、不健全なまでに、一つの歪み(名目硬直性)と一つの政策ツール(政策金利)というマクロ経済の観点に重点を置いてきた、と私は言いたい。この手法からもたらされた研究体系は、有用ではあったものの、あまりにも還元的で、大金融危機が来た時には不適切であることが明らかとなった。最も単純なモデルにおいてさえ、我々はもっと歪みを取り込む必要がある。
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危機の当初以来、DSGEモデルは、金融部門をより詳細化し、上述の(訳注:金融市場の不完全性や債務や銀行取り付け騒ぎといった)歪みの幾つかを組み込めるように拡張されてきた(例:ガートラー=清滝(2013*1))。しかし正しい中核モデルはまだ得られていない、と私は感じている。別の言い方をすれば、小型のマクロ経済モデルを一から構築する場合に、本質的なものとして取り込む必要がある3つ程度の歪みは何だろうか? 言うなれば、その3つの歪みはどのDSGEモデルでも中核に存在する必要があることになる。どういったモデルを大学院の1年目の最初に教えるべきだろうか?

そこでブランシャールが取りあえずの候補として挙げるのが以下の3つである。

  1. 名目硬直性
    • これ抜きではマクロ経済学の進化は無かった。
    • その重要性は、中銀が名目ならびに実質金利を長期間目標水準に維持できることと、固定相場制と変動相場制で実質為替相場が劇的に異なる振る舞いをすることで証されている(Mussa 1986*2)。
  2. 有限期間
    • 死や、期間を無限ならしめる相続の動機が存在しない、ということよりは、限定合理性や近視眼的視野や遠い先のことまでは考えられない、ということに起因する有限期間。
  3. 支出決定における自己資金の役割
    • 銀行の自己資本や、企業や人々の自己資本や担保の役割。
    • これは、金融危機において働いた数多くの歪みの一つに過ぎないが、実際に起きたこと、および、ショックがどのように金融仲介機能に影響するか、をかなりの程度説明できる。


また政策金利についてブランシャールは、実質金利と経済成長率の関係を視野に入れて論じるべし、と述べている。具体的には、実質金利が経済成長率を下回る傾向が続いていることについて、以下の2つの可能性を挙げている。

  1. 動学的非効率性
    • 低い政策金利は、資本の限界生産力が低いことの表れ。
    • 例えば消費者の視野が有限期間ならば、その可能性はある。その場合、正しい政策ツールは金融政策ではなく、貯蓄を減らすような財政政策となる。この時、公的債務を増やすことはパレート改善的となる。
  2. 過大な流動性ないしリスクプレミアム
    • 動学的非効率性で問題になるのは安全金利と経済成長率の関係ではなく、資本の限界生産力と経済成長率の関係であることを考えると*3、前項の説明が正しいとは思われない。実証分析によれば、資本の限界生産力は経済成長率を大きく上回ったままである。
    • 従って、資本の限界生産力と安全金利の差が拡大したと考えるべきではないか。そのために、所与の資本の限界生産力について対応する安全金利が低下した。換言すれば、流動性ないしリスクプレミアムが拡大した。
    • すると、プレミアムの背後にある要因や、そうした歪みが金融市場で果たす役割に焦点を当てることになる。
      • プレミアムをリスクプレミアムとして考えるならば、メーラ=プレスコット(1985)のエクイティプレミアムパズル*4、ないし、それについて取りあえず提案された様々な回答に立ち戻ることになる。
      • プレミアムを流動性プレミアムとして考えるならば、Caballero=Farhi(2014*5)のように安全資産への需要の背後にある要因を考えたり、さらには金融規制ないし規制政策全般について考えることになる。
    • また、プレミアムが少なくとも部分的に歪みを反映しているならば、社会政策や金融政策について考える必要がある。
      • 仮に今後も政策金利が資本の限界生産力を下回り続けるならば、政府は借り入れを行っても、債務のGDP比率を維持しつつ返済はしなくて済むことになる。ただしそれが可能だとしても、それをすべきかどうかは別問題。
      • プレミアムの背後に様々な歪みがあるとして、それを除去すべきか? たとえそれが安全金利の上昇、ひいては公的借り入れコストの上昇を招くとしても?


ちなみにブランシャールはDSGEについて以下のような懸念も表明している。

Even before the Great Financial Crisis, I felt some unease with two characteristics of the basic model and its larger DSGE cousins. (Blanchard, 2009) The first was that the deep reasons behind nominal rigidities, such as the costs of collecting information or of taking decisions were probably relevant beyond price or wage setting, and thus were relevant for consumption, investment, portfolio choices, with important but neglected implications for macroeconomic dynamics. The second that the models assumed much too much forwardlookingness to agents. When combined with rational expectations, the implications of the Euler equation for consumption, or the interest parity condition for exchange rates, were simply counterfactual.
(拙訳)
金融危機の前においても、私は基本モデルと、その大型の従弟であるDSGEモデルの2つの特性に懸念を抱いていた(Blanchard, 2009*6)。第一は、名目硬直性の背後にある、情報収集や意思決定のコストといったミクロ的な説明要因は、おそらく価格や賃金の設定に関わる以上の重要性を持ち、消費や投資やポートフォリオ選択にとっても重要であり、マクロ経済動学において重要だが無視されてきた意味合いを持つ、という点である。第二は、モデルが経済主体のフォワードルッキング能力を過大に設定している点である。合理的期待形成と組み合わせた場合、オイラー方程式が消費や為替の金利平価条件に持つ意味合いは、事実に反しているのである。

*1:これ

*2:これ。[2017/9/25追記]cf. ここで紹介したクルーグマンのブログ記事もMussaに言及し、以下のように述べている:「Mussa pointed out that the behavior of both nominal and real exchange rates changed dramatically when the exchange rate regime changed, becoming vastly more volatile with the end of Bretton Woods.」。

*3:[2017/9/25追記]cf. ここ

*4:cf. エクイティプレミアムパズル - Wikipedia

*5:これ

*6:NBER版