3種類の経済学的無知

リバタリアン経済学者のSteven Horwitzセント・ローレンス大学教授が、表題のFEE記事を書いている(原題は「3 Kinds of Economic Ignorance」;H/T Mostly Economics)。

When it comes to economic ignorance, libertarians are quick to repeat Murray Rothbard’s famous observation on the subject:

It is no crime to be ignorant of economics, which is, after all, a specialized discipline and one that most people consider to be a “dismal science.” But it is totally irresponsible to have a loud and vociferous opinion on economic subjects while remaining in this state of ignorance.

Economic ignorance comes in different forms, and some types of economic ignorance are less excusable than others. But the most important implication of Rothbard’s point is that the worst sort of economic ignorance is ignorance about your economic ignorance. There are varying degrees of blameworthiness for not knowing certain things about economics, but what is always unacceptable is not to recognize that you may not know enough to be speaking with authority, nor to understand the limits of economic knowledge.
(拙訳)
経済学的無知の話になると、リバタリアンはこの件に関するマレー・ロスバードの有名な言葉をすぐに繰り返すのが常である:

経済学について知らないのは罪では無い。結局のところ、経済学は専門化された分野であり、多くの人が「陰鬱な科学」として認識しているものだからである。しかし、そのような無知な状態にありながら、経済の問題について声高に騒ぎ立てるのはまったくもって無責任なことである。

経済学的無知は様々な形で現れ、ある種の経済学的無知は他のものより弁明の余地が少ない。しかしロスバードの指摘の最も重要な含意は、最悪の種類の経済学的無知は自分の経済学的無知に関する無知である、ということである。経済学について何を知らないかによって非難されるべき度合いも変わってくる。しかし、いかなる時も受け入れがたいのは、権威を持って話すに足る知識が自分に無いであろうということを認めないこと、および、経済学の知識の限界を理解しないことである。


Horwitzは3種類の無知として以下を挙げている。

  1. 議論の的となっていないこと
    • 最も弁解の余地が無いのは、経済学で合意が取れている理論や結果に対する無知である。
    • 例えばバーニー・サンダースは、学生ローン金利が6〜10%と住宅ローン金利の3%より高いことを問題にしたが、これは住宅ローンには住宅という担保があるため学生ローンよりリスクが低くなり、従って金利も低くなる、という金融経済学の合意が取れている議論を理解できていないことから生じた問題提起である。
    • ドナルド・トランプ(およびバーニー・サンダース)の自由貿易叩きも、自由貿易は長期的にすべての貿易国を潤す、という考えが経済学で強く合意されていることからすると、この種類の無知のもう一つの例と考えられる。
    • サンダースもトランプも、自分が知らないことさえ知らないのだろう。

  2. データ解釈
    • より罪が軽いのは、経済データに関する無知である。ロスバードの言うように経済学は専門化された分野であり、データは統計的及び理論的解釈を要するものだからである。
    • とは言え、インターネット時代には基本的な経済データは比較的簡単に入手できる。バーニー・サンダースは最近、米国人が週50〜60時間働いていると述べたが、現在の平均労働時間は34時間であり、しかも長期的には低下傾向にある。サンダースはデータをチェックしないまま自分が信じている数字を出した。

  3. 学派の違い
    • 最も罪が軽いのは、経済学の中に様々な観点ないし学派が存在することを知らないことである。多くの実証的問題や歴史的事実には相異なる解釈がある。
    • 例えば映画のマネー・ショートは金融危機と大不況が規制の不在によって引き起こされたということを明確に示唆しているが、FRBの政策と政府の誤った介入により引き起こされたという別の解釈を知らない人は、それを容易に信じてしまうだろう。
    • 大恐慌についても同様に解釈が分かれている。あるいは景気循環一般についてのハイエキアンとケインジアンの違いもある。


その上でHorwitzは以下のように述べている。

What is missing from all of these types of economic ignorance — and what is often missing from knowledgeable economists themselves — is what we might call “epistemic humility,” or a willingness to admit how little we know. Noneconomists are often unable to recognize how little they know about economics, and economists are often unable to admit how little they know about the economy.
Real economic “expertise” is not just mastery of theories and facts. It is a deeper understanding of the variety of interpretations of those theories and facts and humility in the face of our limits in applying that knowledge in attempting to manage an economy. The smartest economists are the ones who know the limits of economic expertise.
Commentators with opinions on economic matters, whether presidential candidates or Facebook friends, could, at the very least, indicate that they may have biases or blind spots that lead to uses of data or interpretive frameworks with which experts might disagree.
The worst type of economic ignorance is the type of ignorance that is the worst in all fields: being ignorant of your own ignorance.
(拙訳)
これらすべての経済学的無知において欠落しているのは――それは博識な経済学者自身においてもしばしば欠落しているのだが――「認識における謙虚さ」とでも呼ぶべきもの、即ち、自分が如何に知らないかを進んで認める態度、である。非経済学者は自分が如何に経済学について知らないかをしばしば認めることができないし、経済学者は自分が如何に経済について知らないかをしばしば認めることができない。
真の経済学の「専門的力量」は、単に理論や事実に精通していることにあるのではない。そうした理論や事実の様々な解釈をより深く理解していること、および、経済を運営する試みにその知識を適用することの限界と向き合う際の謙虚さにあるのだ。最も賢い経済学者は、経済学の専門性の限界を弁えている経済学者なのである。
大統領候補であれフェイスブックの友人であれ、経済問題について意見を述べる際には、せめて、自分には専門家が同意しないであろうデータの用い方や解釈の枠組みにつながるバイアスや盲点があるかもしれない、ということを示すことができるはずである。
最悪の種類の経済学的無知は、すべての分野において最悪の種類の無知である。即ち、自分の無知に対する無知である。