公共投資の付加価値がゼロになる時・補足

昨日のエントリでは公共投資の無駄を即時償却という形でSNA会計で表現してみたが、民間企業投資の無駄を即時償却方式で表現すると、以下のようになろうか。

支出 分配
民間企業投資 100 雇用者報酬 100
営業余剰 ▲100
固定資本減耗 100

即ち、補助金の代わりに企業の損失でバランスを取ることになる。この場合、GDP=100、NDP=ゼロは上と同じだが、DIは100ではなくゼロとなる。


なお、飯田氏の主張でもう一つ注意すべきは、民間の投資が政府の投資より無駄が少ない根拠として、自由主義資本経済の優位性が挙げられている点である。小生もその優位性は間違いないと思うが*1、その理由としては以下の2つが考えられるように思う。

  • 個々の投資を行う段階で民間の方が厳密な吟味がなされる。いわば、民間の方が目利きである。
  • 民間では投資が失敗した場合に、上例のように損失という形で明確なペナルティが発生するので、速やかに撤退・償却がなされる。
    • その結果、無駄な投資にいつまでもリソースが割り当てられるケースが少なく、資源がより効率的に配分される。

一般に民間投資の優位性として指摘されているのはこのうちの2番目のように思われるが、飯田氏はむしろ1番目を重視しているように思われる。確かに画期的な技術進歩が民間の投資から生まれるケースは数多あるが、しかし、その点に目を奪われていると、民間においても一つの成功した投資の陰には無数の無駄な投資が死屍累々横たわっている――それは企業間競争の話だけではなく、同じ企業の事業においてもそうである――という、民間企業で働いている人間ならば肌感覚で理解している当たり前のことを得てして忘れがちとなる。その点も藤井氏の反発を招いているように思われる。

*1:ただし、このエントリの議論や、これこれのエントリにおける紹介からお分かりになるであろう通り、産業政策の可能性への評価は他の人より甘めかもしれない。