DSGEの泥沼

ここで紹介した論文を話のとば口として、ノアピニオン氏がDSGEの問題点を3つ挙げている

  1. ほぼすべてのDSGEの結果は線形化の結果である。もし線形化を外すと、複数均衡が現われ、DSGEモデルの前提が成立している架空の世界の経済についてさえ、意味のあることが言えなくなる(このパラメータがこの値以上ならばこちらの均衡、それ以外の場合はこちらの均衡、という定量的な話はDSGEの能くするところではない)。換言すれば、現実を上手く表現できているか否か以前に、ほとんどのDSGEは自分自身を上手く表現できていない。
     
  2. 利用可能なものとするためには、DSGEモデルには単純化が大いに必要。非線形ニューケインジアンモデルはあまりにこんがらがっているので解くことができず、シミュレーションするしかないことが多い。また、資本や投資も取り込めないが、投資は景気後退時に最も大きく振れるGDPの構成要素なので、この省略は問題。(ノアピニオン氏の師である)マイルス・キンボールは長年その問題に取り組んできたが、投資を取り込もうとすると、ただでさえ手に負えないモデルが、絶望的なまでに手に負えないモデルになってしまうことが分かっている。ましてや主体の不均一性といったそれ以外の現実性を加味するのは困難。DSGEにおける現実性と扱いやすさのトレードオフは極端なまでに大きい。
     
  3. DSGEは前提への鋭敏性が非常に高い。Braun=Körber=Waki論文とFernandez-Villaverde=Gordon=Guerron-Quintana=Rubio-Ramirez論文のモデルは極めて似通っているが、僅かな差が財政政策の有効性について大きく異なる結果をもたらした。マクロ経済学者たちは毎年莫大な数の相異なるDSGEモデルを生み出しているが、その中のどれを選べば良いというのか? (明らかに非現実的な)前提が少し違っただけでまったく違った結論を導き出すというのに? しかもそれらのモデルの完全に非線形なバージョンを近似抜きで取り扱うと(そうした取り扱いは大きな経済変動の場合のみ必要なように思われるが)、確たる結果の代わりに複数均衡が現われるというのに?
    DSGEを活用しようとする政策担当者が直面するのは、言うなれば、通路が1キロの長さのスーパーに百万種類の似たようなピーナツバターが並んでいて、違いは裏面のラベルに書かれた「安息香酸カリウム」などの含有成分で見分けるしかない、という状況である。しかもそのピーナツバターの85%は実際には有害で、安息香酸カリウムといった化学成分に精通している人だけがその違いを見分けることができる。


この状況を解決するためにノアピニオン氏が提唱する方向性は、以下の3点である(ただし、その方向性に大いなる自信があるわけではない、とも断っている)。

  1. 精緻な実証分析を積み重ねて、概ね正しいミクロ的基礎を確立する。DSGEモデルの構築も、手当たり次第に様々なモデルを構築して多分これが現実を表現しているだろうと言って済ませるのではなく、基礎が確立したその狭い分野に集中する。
  2. (気象学者が天気予報に使うような)大規模シミュレーションでそうしたミクロ経済学の成果を取り込む。DSGEの複雑性を考えると、そうした手法が必要になる。
  3. 大規模シミュレーションと並行して、ロバート・ソローの提唱する単純なモデルを用い、DSGEモデルの考え方について他の経済学者や一般の人々への説明も行う(DSGEの予測能力の低さを考えると、説明すべきはその考え方ということになる*1)。


ちなみにWCIブログのStephen Gordonは、自分がDSGEを離れて計量経済学の道に進んだのもまさにこの第一項の考え方に沿ったため、と書いている*2

*1:コメント欄ではNY連銀の報告を基にDSGEの予測能力もそれほど低くないのではないか、というコメントが付いたが、それに対しノアピニオン氏は、別の論文も示しつつ、そもそも同報告で比較対象となっているブルーチップの予測能力も低いし、Smets-Woutersモデルの予測能力はそのAR(1)構造によるモメンタム効果の捕捉に負うところがほとんどだろうし、利用可能な数百のモデルのうち一つだけがブルーチップに勝ったというモデル選択問題もあるだろう、と否定的な見解を示している。

*2:同時に、トロント大学のLarry Epsteinがこの論文この論文で展開した双対理論に今後の方向性があるのではないかとして(=リターン関数を特定化して数値解法で解くよりは、それと双対関係にある価値関数を特定化する方が容易なはずで、双対理論からリターン関数に課すべき特性はすべて価値関数にも課すことができる)、それをテーマにした自分の論文も提示している。