専門家を信頼すべき時

ディスカバー誌ショーン・キャロル(Sean Carroll)が表題の件について以下のように論じている(ノアピニオン氏経由)。

when should, in completely general terms, a non-expert simply place trust in the judgment of an expert? I don’t have a very good answer to that one.

I am a strong believer that good reasons, arguments, and evidence are what matter, not credentials. So the short answer to “when should we trust an expert simply because they are an expert?” is “never.” We should always ask for reasons before we place trust. Hannes Alfvén was a respected Nobel-prizewinning physicist; but his ideas about cosmology were completely loopy, and there was no reason for anyone to trust them. An interested outsider might verify that essentially no working cosmologists bought into his model.
(拙訳)
完全に一般的な話として、非専門家が専門家を信頼すべきなのはどのような時か? それに対しては私はあまり良い回答を持ち合わせていない。
私は、資格ではなく、優れた理由、推論、そして証拠が重要だ、と強く信じている。従って、「専門家という理由だけで専門家を信頼すべき時があるか?」という問いに対する簡潔な回答は「決して無い」となる。我々は、信頼を置く前に常に理由を求めるべきなのだ。ハンス・アルヴェーンは尊敬されたノーベル賞受賞物理学者だったが、彼の宇宙論はまったく妙なもので、その宇宙論を信頼すべき理由はまるで存在しなかった。この件に興味のある外部の人が調べてみれば、彼のモデルを評価する現役の宇宙学者が事実上誰もいないことを確認するだろう。


このキャロルの記事は、Robin Hanson以下の問いに端を発している。

Explain why people shouldn’t try to form their own physics opinions, but instead accept the judgements of expert physicists, but they should try to form their own opinions on economic policy, and not just accept expert opinion there.
(拙訳)
人々が物理学については独自の意見を持つことなく専門の物理学者の判断を受け入れるべきなのに、経済政策については専門家の意見を受け入れるだけでなく独自の意見を持つべきなのはなぜか説明せよ。


これに対するキャロルの回答は、概ね以下の通り。

  • 「専門分野によって発見された物事」の「自分でも思いついたであろう物事」に対する比率が、自然科学の方が社会科学よりもはるかに高いように見える。
  • 専門分野の基礎的な部分でのコンセンサスが自然科学者の間では得られているが(例:ビッグバンモデル、電磁気学自然淘汰)、社会科学者の間ではそうではない(例:減税の効果、死刑の犯罪抑止効果)。
  • 社会科学の対象の方がはるかに複雑。物理学者の知識は宇宙船を月に送り込むのに役立つが、社会科学者が疑いなく持っている深遠な知識は、そうした直截的な世界理解には結び付かない。
  • 社会科学の場合、素人と同様、専門家も自らの政治的傾向などの非専門的要因に影響を受ける。また、人々が知りたい総括的な見解ではなく、あくまでも専門的な視野からの見解しか提供しない、という問題もある(例:死刑に犯罪抑止効果があるとしても、倫理的に許されるのか?)。自然科学は、進化論のような例外はあるものの、概ねそうした要因から自由である。


こうした話に加えて、そもそも専門家をどこまで信用してよいのか、というさらに難しい問題がある、としてキャロルが記述したのが冒頭に紹介した一節である。


このキャロルの記事を受けて、ノアピニオン氏は以下の3点を指摘している。

  • キャロルの指摘は基本的にマクロ経済学の話。ミクロ経済学は、それほど人々に知られていないかもしれないが、成功を収めている。
  • コンセンサスが存在しないことが素人を引かせてしまうとしても、コンセンサスが正しいとは限らない。今回の経済危機で崩壊した「大平穏期」の概念や、DSGEなどがその例。
  • ミクロ的基礎付けも専門家が信用を得る上で重要。気象学の予言は実証で確かめるには長期であり過ぎるが、コンセンサスの得られた物理学でミクロ的基礎付けがなされている。一方、マクロ経済学は、まだきちんと解明されていないミクロ経済学に基礎付けされている(例:消費−貯蓄行動、企業の意思決定、技術進歩、期待形成、リスク回避)。


このノアピニオン氏のコメント欄にはピーター・ドーマンが姿を見せ、本ブログで昨日紹介した第一種過誤の問題を指摘し、ミクロ経済学もこの問題は免れてはいない、と断じている。