貸した金返せよ♪

先週はロバート・カトナーの「債務者監獄(Debtors’ Prison)」と題されたコラムが話題を呼んだ。以下はその前半部からの抜粋。

Economic history is filled with bouts of financial euphoria followed by painful mornings after. When nations awake saddled with debts incurred to finance wars, episodes of failed speculation, or grand projects that haven’t paid off, they have two choices. Either the creditor class prevails at the expense of everyone else, or governments find ways to reduce the debt burden so that the productive power of the economy can recover.
Creditors—the rentier class in classic usage—are usually the wealthy and the powerful. Debtors, almost by definition, have scant resources or power. The “money issue” of 19-thcentury America, about whether credit would be cheap or dear, was also a battle between growth and austerity.
The creditor class views anything less than full debt repayment as the collapse of economic civilization. In fact, however, debts are often not paid in full....
Sometimes, debts simply cannot be paid. That’s why debtors’ prison was a ruinous idea (except as a deterrent). The real issue is how to restructure debt when it becomes impossible to repay. This is not just a struggle between haves and have-nots but between the claims of the past and the potential of the future.
...
Bankruptcy ingeniously provides orderly relief from past debt so that the productive enterprise is not needlessly destroyed....
American business values the bankruptcy system for its own purposes, even though investors occasionally take a bath. But the same business elite looks askance when others—homeowners, small nations, the entire economic system—seek relief from punishing and economically perverse debt. It is no accident that one of the most astute critics of how the financial collapse has privileged creditors at the expense of everyone else is a leading bankruptcy expert, Professor Elizabeth Warren.
(拙訳)
経済の歴史は、金融上の陶酔とその後に続く苦痛な二日酔いという事例に満ち溢れている。気がついたら債務でがんじがらめになっていた国が、金融を巡る争いやら数々の失敗した投資やらコスト倒れに終わった壮大な計画やらに直面した時、選択肢は2つある。一つは債権者階級が他の人々を犠牲にして主導権を握ることであり、もう一つは政府が債務の負担を軽減して経済の生産力を取り戻すことである。
債権者――古い用語を使うならば不労所得階級――は、富裕で権力を持っているのが通例である。債務者は、ほぼ定義により、資力と権力に乏しい。19世紀の米国の「金融問題」は、信用供与が安価か高価かという問題だったのだが、成長と緊縮との間の戦いでもあった。
債権者階級は、債務が完全返済されないと経済文明が崩壊したものと考える。実際のところ、債務が完全返済されないことは珍しくない。・・・
債務返済が単に不可能な場合もある。債務者監獄が(予防策という面を除けば)非生産的であるのはそのためである。真の問題は、返済が不可能になった時にどのように債務再編を行うかにある。これは単に持てる者と持たざる者の間の戦いではなく、過去の権利と将来の可能性との間の戦いでもある。
・・・
倒産は、過去の債務を巧みに秩序ある形で軽減し、生産的な企業が不必要に潰れることを防ぐ。・・・
米国の財界は、倒産という制度をその目的に鑑みて高く評価している。たとえ投資家が大損を蒙ることがあるにしても、である。しかしその同じ財界のエリートが、他の人々――住宅保有者や小国や経済システム全体――が懲罰的で経済の道理に反する債務の軽減を求めると、非難の目を向ける。金融崩壊劇が他者の犠牲の上に債権者を優遇する結果に終わったことに関して最も鋭い批判を展開しているのが、倒産制度の第一人者であるエリザベス・ウォーレン教授なのは偶然では無い。


このコラムにクルーグマン反応したほか*1Adam Levitin、マイク・コンツァル(ここここ)、Naked Capitalismマット・イグレシアスInterfluidityAsymptosisといったところが反応している。


このうちInterfluidityのスティーブ・ワルドマンは、銀行は債権者と債務者の2つの貌を持つのに、リーマン後の救済策によって債務者としての側面が緩和されたため、債権者としての貌が前面に出てくるようになってしまった、と嘆いている。


また、イグレシアスとAsymptosisは債務軽減策としてのインフレについて書いている。Asymptosisがインフレ政策を強く求めている一方で、イグレシアスは老人たちがインフレを嫌うという傾向を指摘している*2


さらにNaked Capitalismのイブ・スミスは、これまでは債務を償却しない悪い手本として日本が良く引き合いに出されていたが、いまひとつ説得力を欠いていた、それに対しカトナーは別の例――第一次世界大戦後のドイツなど――を示した、という妙な評価を示している。曰く:

The usual poster child for “why not writing down debts is a bad idea” is Japan, but that isn’t gripping enough to evoke the right responses. Even though its post-bubble growth has been dreadful, Japan is still a well-run, tidy country with a low crime rate, universal health care, long life expectancy, and tolerable unemployment. That in turn is due to factors that do not obtain much of anywhere else: Japan was very cohesive to begin with, and its elites chose to have their incomes fall relative to everyone else to save jobs. Wage compression at large companies has increased dramatically. This is the polar opposite of what has happened in the rest of the world, where the gap between the haves and the have-nots has widened.

Kuttner provides another set of examples as to why we need to get the creditor boot off all our necks...
(拙訳)
「債務を償却しないのは悪い考えだ」ということを訴える際の見本としてよく持ち出されるのは日本であるが、それは聞き手の正しい反応を引き出すだけのアピールに欠ける。確かに日本のバブル崩壊後の経済成長は恐ろしいほど低かったが、日本は未だにきちんと統治された国であり、犯罪率は低く、国民皆保険制度が整っており、平均寿命が長く、失業率も耐えられる程度の水準にある。そうしたことは、余所では見られない要因に拠っている。日本はそもそも団結力の高い国であり、エリートは職を守るために相対的な所得が低下することを厭わない。大企業での賃金格差の圧縮は非常に進んだ。これは日本以外の世界で起きたこと、すなわち持てる者と持たざる者との間の格差拡大とは正反対である。
カトナーは、なぜ我々が債権者のくびきから逃れる必要があるかを示す別の事例を提供している・・・

*1:邦訳クルーグマンはさらに追加の関連エントリを2つ上げている(ここここ邦訳])。また、6/10op-edでもこのテーマを取り上げている。

*2:ちなみにカトナー自身はインフレという方策について「Debt can be reduced or renounced in ways that are constructive or that add to the chaos. Inflation, for instance, is one way of eroding debt, and a risky one.(債務を削減ないし放棄するのは建設的なやり方もあるし、混乱に輪を掛けるやり方もある。例えばインフレは債務を減らす一つの方法であるが、リスクのある方法でもある。)」という微妙な書き方をしている。