一昨日のエントリの最後で触れたが、Mostly Economicsが昨年12/27エントリでCity Journalという雑誌の最新号の幾つかの記事にリンクしている。今日はそこから、Mario Polèseというケベック大学州立科学研究所の都市経済学者が書いた記事を簡単に紹介してみる(ちなみにMostly Economicsでは12/15にもこの記事を紹介している)。
その記事でPolèseは、IT技術の時代になっても世界各所で大都市が成長を続けていることを取り上げ、そうした成長をもたらす集積効果を以下の7項目にまとめている。
- 生産に関する規模の経済
- 人口密度が高い都市部では労働力が容易に得られる。
- ただしこれは20世紀前半のデトロイトなどに当てはまる話で、今や大都市はそうした製造業の工場を建てるには土地が高くなりすぎた。
- 交易と輸送に関する規模の経済
- トラック、航空機、船舶による輸送は、積荷が多いほど費用効率が高くなる。そうした大量の積荷をもたらすのは、大規模な港湾、空港、集配センターであり、換言すれば大都市部である。
- トラック、航空機、船舶による輸送は、積荷が多いほど費用効率が高くなる。そうした大量の積荷をもたらすのは、大規模な港湾、空港、集配センターであり、換言すれば大都市部である。
- 輸送ならびに通信のコストの低下
- 有史以来、輸送コスト――金銭面だけではなく、遠隔地を相手に取引することから生じる時間の損失やフラストレーション――は市場拡張の障壁となってきた。輸送コストの低下は、生産を一、二箇所に集中することを可能にする。ヘンリー・フォードがデトロイトを生産拠点とすることができたのは、舗装道路や鉄道の整備によって、そこから全米市場にアクセスできたからである。
- もし輸送コストがゼロならば、最初の生産者が定めた拠点に皆が集積するだろう。そうした理論上の例に最も近いのは映画産業と言える。フィルムの輸送は低費用で済む――電子的に配信できるようになってからは猶更――半面、製作に際してはスタジオや予算面などから規模の経済が大いに働く。そのためハリウッドに映画産業が集積することになった。
- コンピュータプログラミングに関しては、通信コストの低下がシリコンバレーのアウトソーシングを促し、都市への集積を弱めた、という人もいるかもしれない。しかし、実際には、そうした通信コストの低下は、都市の集積作用を強めた――ただしインドのバンガロールにおいてだが。
- こうした通信技術の発展が都市への集中を強めたのは今回が初めてでは無い。テレグラフの発明も今日のインターネットに匹敵するほど当時としては革命的なものだったが、それによってロンドンやニューヨークの成長が弱まることは無く、むしろ、それらの都市の金融機関や事業法人のリーチを伸ばした。
- また、20世紀のラジオやテレビの到来は、各地のローカルな娯楽を、ニューヨークやロサンゼルス発の番組で置き換えた。
- 同一産業の他企業の近くにいることの必要性
- フェース・トゥ・フェースの重要性。
- 例えば金融では、短時間の接触を基に何百万ドルもの大金が動くので、信頼の維持が大切となる。そうした接触では、ボディ・ランゲージ、表情、アイ・コンタクトがシグナルとして重要視される。
- 金融以外でも、ファッションやCGのように創造性やインスピレーションや想像性が重視される産業では、個人的な接触が重要となる。
- インターネットの到来以降、ビジネス旅行はむしろ増えている。通信でやり取りする相手が増えるに連れ、そうした人に実際に会いたいという需要も高まるのだ。
- 専門化が進んだ業界では、採用や教育の費用が削減できることも、同一産業が集積していることのメリットとなる。一流の老練な脚本家を雇うチャンスは、バトンルージュよりはロサンゼルスの方が高いだろう。
- 多様性のメリット
- 中心性
- ガソリンスタンドのように規模の経済があまり働かない業種ならば、単に交通量の多い道路沿いに立地すれば良い。しかし、集客が重要な産業では、その業界の市場の中心地――演劇で言えばブロードウェイ――に企業は立地したがる。
- こうした中心性はしばしば歴史の産物である(鉄道や道路への投資によって首都への輸送手段を集中させたパリなど)。
- 都会の吸引力
- 才能があり野心に満ちた人々は、チャンスを求めて都会にやって来る。ということは、才能があり野心に満ちた人々を求める企業も、都会でそうした人々を雇える可能性が高いことになる。
項番2〜4は、一昨日のエントリで紹介したEd Glaeserのニューヨークに関する考察とも重なるが、ここでは他の都市の例も引きながら具体的に説明しているのが分かりやすい。