なぜ資本主義経済は需要制約型になるのか?

という点を巡ってEconospeakのピーター・ドーマンとWCIブログのNick Roweが軽い論争を繰り広げていた。


まず、ドーマンが、顧客ロックイン戦略*1に基づいてこの件のミクロ的基礎付けができるのではないか、という仮説を提示した。具体的には、消費者の行動に関して以下の仮定を置くことを提唱した。

  • 消費者は、購買行動の際、常に自らの効用を最大化しようと情報収集に勤しんで毎回最適な売り手を見つけようとするのではなく、価格と品質に関する一定条件を満たせば、最初に出会った売り手から購入するものとする。
  • 消費者の次回の購入の際は、前回購入した売り手をまず第一候補とするものとする。

この仮定の下では、売り手にとって、需要を低く見積もり過ぎて商品が提供できずに顧客を逃がすことは、今回の取引だけではなく将来続く取引をも犠牲にすることになる。従って、需要を過大に見積もって商品が売れ残るコストより、そちらのコストの方が大きくなるのではないか、というのがドーマンの説である。


これに対しRoweが、かねてからの持説である独占的競争に基づく説明をコメント欄で披露した。そして、WCIブログでエントリを起こしてさらにその考えを詳説した


しかし、ドーマンはこの説明に納得せず、別エントリで以下のような疑問を提起した

  1. Roweの説明では、需要曲線が予想より上振れした場合でも、価格と限界費用の間に元々バッファがあるので増産で対応できる、としている。しかし、超過供給とは、単に売り手がもっと売りたい、という話ではない。超過供給とは、予想と現実の需要曲線が異なることが判明した事後において、より最適な価格と量の組み合わせが存在していた、という話である。また、需要曲線が事前に不確定であることは、予想が上下どちら方向にも間違い得ることを示している。問題は、なぜ常に需要を過大評価する傾向があるか、ということである。
     
  2. Roweの説明を突き詰めると、純粋な独占の方がより超過供給の傾向を持つことになってしまう。
     
  3. Roweの説明では、価格よりも量の方を頻繁に変えることになる。それは恣意的なように思われる。
     
  4. Roweの右下がり需要曲線説とドーマン自身の消費者一定条件説とを比較した場合、ドーマンモデルではより競争的な経済で超過供給が発生しやすくなるのに対し、Roweモデルではより独占的な経済で超過供給が発生しやすくなる(消費者の選択肢が狭まれば、リピーターを増やすために顧客を満足させようという売り手のインセンティブが弱まる)。
     
  5. 価格決定についてはあまり議論してこなかったが、一方の極に市場シェア獲得を最優先とした低価格路線があり、もう一方の極に短期利益を最大化する価格決定法がある。実際の価格決定法は大部分がその間に位置すると思われるが、限界費用や限界収益や需要に基づいた機械的な価格決定というのは制約としてきつ過ぎるのではないか(ABC会計を採用している企業がどれだけあるというのだ?)。

これに対しRoweは、価格の限界費用に対する上乗せ幅が大きいほど(=需要の価格弾力性が低いほど)、売り切れによる機会費用が売り手にとって大きくなるのではないか、それが超過供給の傾向を招くのではないか、とコメントしている。だがドーマンはやはりこのコメントにも納得せず、それならばなぜ価格の調整を行わないのだ、と応じている。


また、Econospeakの共同ブロガーであるバークレー・ロッサーが、要はチェンバレンの過剰能力定理の話ではないか、とコメントしたのに対し、ドーマンは、そうではない、と応じている。というのは、チェンバレンが述べたのは、企業は平均総費用曲線の最低点の左側で生産を行うので、より低コストでより生産できるのにそうしない、ということであり*2、生産者が自ら設定した価格での販売想定量が需要を恒常的に上回るという話とは別物、とのことである。

*1:ただし、ドーマン自身はこの用語は使っていない。

*2:ゼミナール経済学入門」からロッサーの指摘した過剰能力定理に関する説明を引用すると、
「長期の産業均衡の状態においては、どの企業についても、(1)利潤最大化のための条件としてMR=MCが満たされていなければならないのと同時に、(2)超過利潤ゼロの条件としてp=ACが満たされていなければならない。・・・個別需要曲線は右下がりであるから、接点p*においてはAC曲線もまた右下がりであるほかはない。これは産出量の長期均衡水準が平均費用曲線の最低点よりも左にくることを含意しており、その意味においては過剰能力(excess capacity)が生じているということもできる。」