効用関数とリスク回避を結びつけるべからず

アンドリュー・ゲルマンがそう主張している。(wrong, rogue and booklog経由)。


彼の1998年の論文では、以下のような例が示されている(なお、以下では説明のために記号などを若干アレンジしている)。


ある人が、以下の2つの選択肢を等価であると考えているとする。

  • 確率pで x+10ドル、確率1-pで x-10ドル貰える
  • 確実にxドル貰える

この人の効用関数をU(x)とすると、この等価性は以下の式で表せる。
 U(x) = p・U(x+10) + (1-p)・U(x-10)
これを変形すると、
 U(x+10) - U(x) = (1-p)/p ・(U(x)-U(x-10))
という漸化式が得られる。ここで(1-p)/p≡α、U(0)=0、U(10)=1と置くと、
 U(x) = (1-αn)/(1-α)  ただし、n = x/10
となり、効用関数の一般式が得られる。

pは一般に0.5より大きいので(論文では0.55という値を用いている)、αは1より小さい。従って、十分大きなx(例えば10億ドル)については、U(x)は 1/(1-α) に収束する。


この効用関数において、確率0.5で0ドル、確率0.5で10億ドルを得る選択肢と、確実にxドルを得る選択肢が等価になる、という条件を満たすxは幾らだろうか? それを求めるには、以下の式をnについて解けば良い。
 {1/(1-α)}×(1/2) = (1-αn)/(1-α)
これを解くと、
 n = -ln(2)/ln(α)
となるので、p=0.55の場合、n=3.45となる。即ち、確率0.5で10億ドルを得るのと等価な選択肢は、確実に34.5ドルを得ること、ということになる。これはいくらなんでもおかしい、よって効用関数とリスク回避を結びつけるのは誤り、というのがゲルマンの主張である*1



ただ、このゲルマンの効用関数の例には一つ疑問が残る。それはxの値に関わらず、pの値が一定、という点である。20ドルか0ドルか、という選択肢と、10億20ドルか10億ドルか、という選択肢は明らかに意味が違う。前者の選択肢ではp=0.55を設定し、20×0.55+0×(1-0.55)−10=1ドルのリスクプレミアムを要求する人でも、後者の選択肢では10ドル20ドルの差額は気にしないのではないか。言い換えれば、後者の選択肢ではpは限りなく0.5に近いのではないだろうか*2


試しにp = 0.5+0.05/n のように設定してゲルマンの計算をやり直してみると、面白いことが分かる。U(x)が収束しないのである(下図黄線)*3



そこで、ゲルマンの9/11エントリのコメント欄で、このように効用の整合性が保たれ、かつ、凹関数でありながら発散する効用関数が存在し得るということは、問題は効用関数の概念そのものではなく、効用関数の定式化にあるのではないか、とコメントしてみた*4
すると、このようにpを逓減させた場合、一箇所でもそれに沿わない選好が存在すると、その効用関数自体が破綻してしまうのではないか、という返答を貰った。
それに対し小生は、選好というのはあくまでも経済変数なので観測誤差はあるかもしれないが、そうした誤差が見られるというだけでは、整合性の取れた真の効用関数が裏に存在することを否定する根拠にはならないのではないか、そして、そのような関数が存在するならば、それが経済分析に役立たないと決め付けることはできないのでないか、とコメントしてみた*5
それについては、そのようなモデルを誤差込みで考えるのは結構だが、でもやはり効用関数でリスク回避度を考えるのは駄目だ、というにべも無い返答を貰い、現在のところそこで話が終わっている*6

*1:ちなみにゲルマンは、「Yitzhak」も自分の数年後に同様の論文を書いた、と言っているが、このYitzhakというのは、2001年にジョン・ベイツ・クラーク賞を受賞したMatthew Rabinのことである(2009/11/16エントリによると、高校時代の仇名との由[同姓のイスラエルの政治家に因んだと思われる]。その2009/11/16エントリでゲルマンは、自分の方が先に論文を出したのだが、あいにく掲載したのが統計の学会誌だったため、Yitzhakの目に触れることが無かった、とぼやきのようなことも書いている。ただ同時に、自分の論文が一つの例を示したに過ぎないのに対し、Yitzhakはきちんとした証明を記述している、ということを認めている)。Wikipediaのリスク回避の項では、Rabinの示した例がリスク回避の考え方の限界として取り上げられている。

*2:実はこのことは既にゲルマンのブログで5年前に取り上げられている。2005/4/19エントリでゲルマンは、デボラ・フリッシュというアリゾナ大学の心理学の准教授(当時)と議論しているが、小額の差額に対するリスク回避が資産水準の広い範囲に亘って継続するという「translation invariance」がMatthew Rabin(や自分)の議論のポイントであることを認めている。フリッシュはコメント欄で、その特性が関数の急激な収束をもたらしている、と指摘している。
ちなみにこのフリッシュという人は、この1年後にネット上の筆禍事件を引き起こし、アリゾナ大学を辞任している。エントリ中でゲルマンが言及している彼女のブログも今は閉鎖され、逆に今は彼女の悪行を指弾するサイトになっている。

*3:図で「Original」という凡例を付けた青線はゲルマンの元の数値例で、1/(1-0.45/0.55)=5.5に収束している。一方、桃色の線はp = 0.5+0.05/sqrt(n) と置いた計算例だが、同じpが0.5に収束する場合でも、このようにその収束速度が遅いと、U(x)が収束してしまうことが分かる(この場合は20近くの値に収束している)。
なお、黄線と桃色の線の凡例には「Sharpe ratio〜1/n」ないし「Sharpe ratio〜1/sqrt(n)」と記述したが、これはプレミアムをリスクで割ったシャープ比がそのような比例関係になるからである。ここでプレミアムは
 p(x+10)+(1-p)(x-10)−x = 20p-10
である(=不確実な選択肢の期待収益−確実な選択肢の期待収益)。一方、標準偏差
 20×sqrt[p(1-p)]
なので、pが0.5に近ければ10近くでほぼ一定になる。従って、シャープ比は各々1/(10n)と1/(10sqrt[n])となる。

*4:ちなみに前述のフリッシュは、問題はCARA型の効用関数を使ったことにあり、CRRA型の効用関数を使えば「translation invariance」は現われないのではないか、と指摘している。

*5:後で気付いたが、WCIブログのStephen Gordonも2007/10/25エントリに対して同様のコメントをしていた:
"Economists are usually quite cautious when handling self-reported survey preferences, and many (most?) are downright dismissive. We're much more comfortable drawing inferences about preferences from actual decisions.
And perhaps preferences don't exist. Neither does probability, come to that. But models based on those concepts are still pretty useful analytical tools."
(拙訳)経済学者は通常、自己申告の調査による選好の取り扱いには極めて慎重で、多く(ほとんど?)の経済学者は露骨に否定的である。我々は、実際の意思決定から選好を推定することの方を遥かに好ましく感じる。
実は、選好などというものは存在しないかもしれない。その点について言えば、確率というものも同様かもしれない。しかし、それらの概念に基づいたモデルは、やはり極めて有用な分析ツールなのだ。

*6:ゲルマンはこのテーマをブログで繰り返し取り上げており、これまでリンクしたエントリ以外にも、例えば2006/11/1エントリ2008/12/15エントリ2009/11/5エントリ2009/11/15エントリで論じている。2009/11/15エントリには、Hal Varianがつい最近コメントし、確かにフォン=ノイマン・モルゲンシュテルン型効用関数ではリスク回避を捉えきれないかもしれない、と述べている。