タスマニア効果と宇宙植民地化

イギリスのSF作家チャールズ・ストロスが、現代の技術文明を維持するのに必要な人口を見積もっている(7/23ブログエントリ)。彼の推定によると、1億人〜10億人の範囲ではないか、とのこと。

ここで上限の10億人は、NAFTAEU、日本、台湾、および中国の工業地帯をカバーした人口である。一方、下限の1億人は、たとえば航空産業だけを維持するのにも50万人が必要、という推計から弾き出している。
航空機だけでなく、自動車や携帯電話も今や非常に複雑化しており、多くの細分化された産業を下支えとして必要としている。また、製造業以外のたとえば医療でも、現代においては各分野のエキスパートを数多く抱える必要がある。そのため、100年前と比べると、そうした技術を維持するのに非常に多くの人数を必要とするようになっている、というのがストロスの指摘である。
さらに彼は、1900年には食糧供給に労働人口の2〜3割、生活必需品の生産に3〜5割が割かれていたのに対し、現代では前者に0.5〜1%、後者に1〜4%しか必要としない、という数字を挙げている。残りの労働力は、細分化され専門化された無数の産業に振り向けられており、現代文明はそうした産業の協業の上に成り立っている、というわけである。


一部の保守的な政治家は生活が素朴だった時代を懐かしみ、それを反映するかのように、ストロスの専門分野であるSFでも、宇宙の植民地で少人数によるリバタリアンユートピアを実現する、といった内容の作品が時折り見られる。しかし、現代文明を維持しつつそうしたことを実現するのは不可能、とストロスは主張する。別の言い方をすれば、火星の植民地化は可能かもしれないが、まずは1億人ばかり送り込む必要がある、と彼は言う。


このストロスのブログ記事を受け、Henry Farrellジョージ・ワシントン大学准教授が、タスマニア効果(the Tasmania effect)について書いている(Crooked Timberブログ8/2エントリ)。それによると、ヨーロッパ人が18世紀にタスマニアに到着した時、タスマニア人は、人間社会の記録史上において最も単純な道具しか持っていなかったという。考古学的調査によれば、そうなった原因は、完新世以前に保有していた技術が徐々に失われたことと、150キロ北のオーストラリアで開発されたような技術がタスマニアでは開発できなかったことにあるとの由。
Farrellはこのタスマニア効果の説明を「The Origin And Evolution Of Cultures (Evolution and Cognition)」からの引用という形で紹介しているが、そこでさらに引用されている考古学者のJoseph Henrich論文では、オーストラリアから最終氷期の終わりに切り離された後、タスマニアの人口が少なかったために、そうした技術の衰退が起きたのではないか、と分析している。Henrichは具体的な衰退のメカニズムをモデルを用いて示しており、それによると、前の世代からの技術の学習はどうしても不完全なものとなるが、人口がある水準以下になると、そうした学習の不完全性による衰退効果が顕著なものになる、とのことである。Farrellは、このモデルが完全に正しいとは請合えないが、ストロスの議論をさらに展開する足掛かりになるのではないか、と述べている。



ちなみにこの議論を読んで、個人的にはハインラインの「宇宙の孤児」を連想したのだが、ストロスやFarrellのエントリのコメントでは、むしろハインラインの「愛に時間を」の「専門分化は昆虫のためにあるものだ(Specialization is for insects)」という台詞を連想した人が多かったようだ。