アンディ・グローブの産業政策論

インテルCEOのアンドリュー・グローブが「手遅れになる前にいかに米国の雇用を創出するか(How to Make an American Job Before It's Too Late)」という論説をブルームバーグ書いている(ビジネスウィークでの掲載はこちら[こちらはグラフ付き]。日本のブログではたとえばこちらに簡単な紹介がある)。


概略は以下の通り。

  • 米国人はスタートアップ企業に過大な期待を掛けているが、スタートアップ自体はそれほど雇用に貢献するわけではない。問題なのはスタートアップがプロトタイプから大量生産に移行する(=スケールアップする)魔の瞬間*1。今やそのスケールアップのプロセスは米国内では起きていない。
  • インテルを創業した頃は、そうしたスケールアップは米国内で起きていた。他にもタンデム、サン、シスコ、ネットスケープなども同様。しかし、労働コストの安い中国に目を付けた経営陣が生産や技術開発の拠点を海外にアウトソースし始めると、その図式が崩れ始めた。
  • 今日の米国のコンピュータ産業の雇用は、16万6千人程度。これは最初のパソコンであるMITSのアルテア2800*2が生産された1975年当時より少ない。一方、アジアのコンピュータ産業の雇用は約150万人。そのうち最大のものが、フォックスコンとして知られる鴻海精密工業(Hon Hai Precision Industry; ホン・ハイ・プレシジョン・インダストリー)。その昨年の売上高は620億ドルであり、アップルやマイクロソフトやデルやインテルを上回っている。また、その従業員は80万人であり、アップル、デル、マイクロソフトヒューレット・パッカードインテルソニーを合わせたよりも多い。然るに、最近の連続自殺騒ぎまで、その社名を聞いたことのある米国人はほとんどいなかった。
  • 中国南部でアップルの商品の生産に携わっているフォックスコン従業員は25万人。それに対し、アップルの米国内の従業員は2万5千人。この10対1という比率は、デルやシーゲイトなどでも同じ。
  • 付加価値の高い仕事と利益の大部分は米国に残っているのだから問題無い、という人もいるかもしれない。しかし、高給取りの人が高付加価値の仕事をする一方で、大量失業が生まれる社会が本当に良いものなのだろうか?
  • 雇用を生み出すという点では、米国のIT産業はどんどん非効率化している。初期投資額とIPOにおける投資額の合計を分子とし、10年後の従業員数を分母とする指標(雇用当たりの投資指標)を考えてみると、インテルではその値は650ドルであった。インフレ調整後では3600ドルである。ナショナル・セミコンダクターはもっと効率的で、2000ドルであった。しかし、現在ではその値は10万ドルに達している。
  • こうした雇用喪失現象は、コンピュータ産業に限らない。代替エネルギー、新型電池といった産業でも同様のことが起きている。
  • プリンストン大の経済学者アラン・ブラインダーは、「テレビ産業は米国で生まれ、かつては多くの雇用を抱えていたが、コモディティ化するにつれて低賃金の海外に生産が移行していった。今日では米国内で生産されているテレビはゼロだが、それは失敗ではなく成功なのだ」と述べたが、その意見には賛成しかねる。生産現場での経験が技術革新にとっては重要なのだ*3。その経験を失うことは、明日の新たな産業を失うことにもつながる。
  • 我々は自由市場経済を至高のものと考えるあまり、それには改善の余地があるという現実の証拠を見落としているのではないか。そうした証拠は、雇用創出を第一の目的としたアジア各国の国家主義経済に表れていた。1980年代末から1990年代に掛けての中国の「ゴールデン・プロジェクト」が代表例。LSEのロバート・ウェードは、1970年代から1980年代に掛けての東南アジアの驚異的な発展は、政府の製造業に関する成長戦略によるところが大きいことを見い出した*4
  • シリコンバレーの技術志向は、この点で障害になっている。すなわち、個々の企業の利益を高めるという目前の目標を技術者特有の懸命さで追求した結果、スケールアップによる技術革新の能力を国内から失わしめてしまった*5。これは、ギロチンで首を刎ねられようとした技術者が、ギロチンがうまく落ちないのは錆びたはずみ車のせいだから油を差せと処刑人に教えた――そのままギロチンが落ちなければ慣例により釈放されたのに――というエピソードを想起させる。あるベンチャーキャピタルは、出資対象のスタートアップ企業すべてに「中国戦略」を取るように薦めているが、これはギロチンに油を差して回っているも同然。本来は「米国戦略」を薦めて回るべき。
  • まずは産業の共通財を建て直すことを目指そう。そのために金融面でのインセンティブの体系を作り上げよう。即ち、オフショアの労働による商品には追加課税を実施しよう(もしそれにより貿易戦争が勃発するというのなら、他の戦争と同様に対処しよう――勝つために戦おう)。その追加課税で徴収された資金は、「米国スケーリング銀行」とでも名付けて、別建ての財源として管理しよう。そうした体系の確立によって、産業基盤、ならびに、その適応性と安定性を当然のものとして受け止めている社会を維持する責務は、各人が個々の企業の目標を追い掛ける傍らで我々ビジネスマン全員が負っているのだ、ということを日々思い起こすことになる。
  • 自分は1956年にソビエト圏のハンガリーを逃れてきた。つまり私は、政府の過剰介入と人々の階層化の両方を身をもって体験してきたわけだ。大部分の米国人は知らないだろうが、1932年にホワイトハウスの前のペンシルベニア通りでデモ行進をしていた失業者を追い散らすために、戦車と騎馬隊が投入され、銃剣と実弾を付けた兵隊が彼らを排除するということがあった。このアメリカでだ! 失業はそれだけ深刻な事態をもたらす。もし私の言うことが保護主義者に聞こえるというのなら、それも結構。


この記事はNaked CapitalismRajiv SethiMarginal RevolutionEconomist's Viewで取り上げられている。このうち、Naked Capitalismのイブ・スミスだけがグローブの記事を評価する姿勢を示し、他は(経済学者らしく)グローブの保護主義的な主張に警戒感を示している。ただ、スミスもSethiに寄せたメールで、確かに保護主義はとんでもない結果を生むかも、と認めている。半面、経済学者の中でもコーエンが最も強く反発したのに対し*6、SethiとEconomist's ViewのMark Thomaは、グローブの問題提起自体は真面目に考えるべき、という姿勢を見せている。


なお、Economist's Viewの別エントリではマイケル・スペンスのFT論説を紹介しているが、そこでスペンスがグローブの記事を「思慮に富んだ(thoughtful)」と評したことにThomaは驚いている。また、そこでスペンスが産業政策を呼び掛けたことにもThomaは驚いており、これから産業政策を巡って経済学界に嵐が来る予感がする、という感想を漏らしている。

*1:一頃流行った言い方を使えば、キャズムを越える瞬間ということか。

*2:8800の間違い?

*3:「技術革新は研究室(だけ)で起きているんじゃない。現場で起きているんだ。」ということか。

*4:cf. これ

*5:いわゆる合成の誤謬ということか。

*6:ただしコーエンは、Sethiが指摘する通り、グローブが用いたスケールアップという言葉の意味を規模の経済性と誤解しているようである。