ヘリコプター・マネーあれこれ

「Nobody Understands The Liquidity Trap (Wonkish)」と題されたクルーグマン7/14ブログエントリをきっかけに、ヘリコプター・マネーを巡りブロゴスフィアで各人各様の考察が見られた。


まず、デロングがクルーグマンに以下のように異議を唱えた

  • クルーグマンはヘリコプター・マネーを一括減税に喩えてリカードの中立命題を持ち出しているが、リカードの中立命題が完全に成立すると信じている人はあまりいない。
  • 現金をばら撒いた翌年に吸引機を持ったヘリコプターが現われて回収を行うことが前提とされているならば話は別だが、ヘリコプター・マネーと言った場合、通常それは想定されていない。
  • クルーグマンは、リカードの中立命題が完全には成立していないとしても、ヘリコプター・マネーの大部分が貯蓄に回ってしまうと予想しているが、“大部分”は“すべて”ではない。
  • まさに大部分が貯蓄に回ってしまうために、マネタイズされた財政支出や高いインフレ目標といった政策が、ヘリコプター・マネーより望ましい、とされている。しかしいずれの政策も実現しそうにない今、ヘリコプターを飛ばすべき時が来たのかもしれない…。


このデロングの議論にMark Thomaがメールで疑問を呈し、それをデロングがブログに掲載し、さらにそれをThomaがEconomist's Viewに転載した。疑問、と言っても感想めいたもので、あまりまとまりが無いようにも見えるが(だからメールで済ませたのだろうが)、概略は以下の通り。

  • 確かにヘリコプター・マネーは、本当に現金を必要としている人の支出を促すだろう。彼らは物価が上昇する前に使おうとするだろうし、また、目の前の現金の掴み取りのために相争う人たちが将来の増税を気に掛けるとも思えない。そうした点でヘリコプター・マネーは、単なる債券と現金との交換とは違い、実体経済に直接的な効果を発揮する。
  • しかし、単に現金をばらまくよりは、それで政府が労働や財やサービスを買った方が良いのではないか? 確かにそれには時間が掛かる。一方、現金を都市にばら撒いたら、ものの数分で効果が現れるだろう。とは言え、それはやはり単純に過ぎるのではないか…。


やや意外なことに、スコット・サムナーはヘリコプター・マネーに強い拒否反応を示した。理由は、そんな邪道な手段に頼らなくても中央銀行は総需要を増加できるのだから、ヘリコプター・マネーなぞ有害無益な選択肢に過ぎない、そんなことを考えるだけ馬鹿馬鹿しい、というものである。


こうした中、タイラー・コーエンがヘリコプター・マネーを最適通貨量の観点から考察し、総需要押し上げ効果がある、と結論付けた(上記のサムナーが言及しているほか、デロングもエントリを立てて紹介している)。
そのブログエントリで彼は、Sho-Chieh Tsiang(蔣碩傑)の1969年の論文「A Critical Note on the Optimum Supply of Money」に触れ、Tsiang流の流動性の罠*1は、短期国債と現金が完全な代替ならば成立するが、実際には完全な代替ではないのだから(=短期国債の利子はまったくのゼロではないし、短期国債を買い物に使うこともできない)、そうした均衡が成立することはない、と主張した*2 *3
同時に彼は、ヘリコプター・マネーではリカードの中立命題は成立しない、というデロングの見方を支持している。そして、総需要押し上げ効果が発揮されないとすれば、それはヘリコプター・マネーが不十分なせいで、量を十分に増やせば効果は出る、とまで述べている。

*1:2008/12/23エントリでコーエンはこれを「the Tsiang equilibrium」と呼び、「Some call it the liquidity trap, but in fact they have different microfoundations and different solutions.」と説明している。

*2:前注の2008/12/23エントリやその少し前の2008/12/16エントリでは、ゼロ金利政策や準備預金への付利によってそうした均衡が成立することをコーエンは危惧していたのだが、その後考えを改めたようだ。

*3:コーエンは、Tsiangの論文のほか、その内容を含意したものとしてBewleyのフリードマンに関するエコノメトリカの論文にも言及している。おそらくそれはこの論文のことと思われるが、それにはさらに元論文があり、そこには以下のように記述されている。
"I make two strong assumptions about endowments and utility functions, which guarantee that consumers need money in order to compensate for fluctuations in their incomes and needs. I then prove that there exists a monetary equilibrium provided that the interest earned on money is less than every consumer's rate of time preference.・・・
A consumer would not economize on money balances if the rate of interest equaled his rate of time preference. He would accumulate money balances until he was fully self-insured. For self-insurance would be costless, since the trade-off between present and future expenditure would be the same when measured in terms of money or utility. So following Friedman, I assume that all consumers have the same rate of time preference and that money earns interest at this rate. I prove that in this case, there exists no monetary equilibrium for almost every choice of consumer's random endowments."
後者の最適通貨量の均衡が存在しない状況が、Tsiang流の流動性の罠に対応すると思われる。