クルーグマンとデロングの意見の不一致が珍しく露わになり、エコノブロゴスフィアで話題を呼んでいる。両者の食い違いは、FRBの金融緩和によるインフレへの懸念を表明したフェルドシュタインをどう評価するか、という点に関するもので、クルーグマンが(Tony Yatesを肯う形で)日本の経験などを基にフェルドシュタインの懸念を一蹴したのに対し、デロングが、フェルドシュタインの懸念も経済学的には理に適っているのではないか、と書いた。それにクルーグマンが反論し、さらにそれにデロングが反応した、という展開になっている。この議論はMark Thoma、スコット・サムナー、Marcus Nunesが取り上げたほか、David Glasnerが、両者の違いはインフレ予想をどう考えるかの違いに過ぎない、として以下のように書いている。
For some reason, Krugman seems unwilling to accept the implication of the argument in his own 1998 paper that he cites frequently: that for an increase in the money stock to raise the price level – note that there is an implicit assumption that the real demand for money does not change – the increase must be expected to be permanent. (I also note that the argument had been made almost 20 years earlier by Jack Hirshleifer, in his Fisherian text on capital theory, Capital Interest and Investment.) Thus, on Krugman’s own analysis, the effect of an increase in the money stock is expectations-dependent. A change in monetary policy will be inflationary if it is expected to be inflationary, and it will not be inflationary if it is not expected to be inflationary. And Krugman even quotes himself on the point, referring to
my call for the Bank of Japan to “credibly promise to be irresponsible” — to make the expansion of the base permanent, by committing to a relatively high inflation target. That was the main point of my 1998 paper!
So the question whether the monetary expansion since 2008 will ever turn out to be inflationary depends not on an abstract argument about the shape of the LM curve, but about the evolution of inflation expectations over time. I’m not sure that I’m persuaded by DeLong’s backward induction argument – an argument that I like enough to have used myself on occasion while conceding that the logic may not hold in the real word – but there is no logical inconsistency between the backward-induction argument and Krugman’s credibility argument; they simply reflect different conjectures about the evolution of inflation expectations in a world in which there is uncertainty about what the future monetary policy of the central bank is going to be (in other words, a world like the one we inhabit).
(拙訳)
なぜかクルーグマンは、彼が頻繁に引用する自身の1998年の論文における議論が意味するところを受け入れたがらない。それは即ち、マネーストックの増加が物価水準を上昇させるためには――貨幣への実質需要は変化しないという暗黙の前提がある点には注意を要するが――その増加は恒久的なものと予想されなければならない、というものだ(この議論はそれより20年近く前に、ジャック・ハーシュライファーによるフィッシャー派の資本理論の教科書「資本利子と投資」*1にてなされていたことも注記しておく)。従って、クルーグマン自身の分析において、マネーストックの増加の効果は予想に依存する。金融政策の変化はインフレ的と予想されたならばインフレ的だし、インフレ的でないと予想されたならばインフレ的でない*2。しかもクルーグマンはこの点について自身を引用してさえおり、以下のように述べている。日本銀行が「無責任になることを信頼性を以って約束する」という私の呼び掛けは、比較的高めのインフレ目標にコミットすることにより、ベースマネーの拡大を恒久的なものとすることを目的としていた。それが私の1998年の論文の主旨だったのだ!
従って、2008年以降の貨幣拡大がいずれインフレ的なものとなるかどうかという問題は、LM曲線の形状に関する抽象的な議論次第ではなく、インフレ予想が時を追ってどのように展開するか次第なのである。私はデロングの後方帰納法の議論をそれほど説得的だとは思わないが――そうした議論を私自身が折に触れて使う程度には気に入っているものの、その際にその論理は現実世界では成立しないだろうと認めている――、彼の後方帰納法の議論とクルーグマンの信頼性の議論の間には論理的矛盾は存在しない。それらは単に、中銀の将来の金融政策がどのようなものになるかについての不確実性が存在する世界(換言すれば、我々の住んでいるような世界)におけるインフレ予想の展開に関する相異なる推測を反映しているに過ぎない。
一方、Nick Roweは、インフレ目標下では、デロングがオメガ点(Omega point)と呼ぶ長期的な均衡点から中期的な動学を後方帰納法により導出するやり方は機能しない、と書いている。このエントリにデロングが降臨し、一本取られたが、もう少し詳しく説明しないと自分やGlasnerなど一部の人以外は話が理解できないのでは、とコメントしている。
これについてRoweは、後続のコメントで飛行機の喩えを持ち出したコメンターに応じる形で、以下のように書いている*3。
A pilot starts out on the equator. He tries to fly west. Random sidewinds push him temporarily north or south, but he corrects his course to due west after a short delay. Whenever the plane drifts off course by 1 mile North/South, the pilot changes the destination programmed into the automatic pilot by 1 mile North/South. The longer he flies, the further away from the equator he gets. That's inflation targeting. Under price level (or NGDP) targeting, he keeps heading back towards the equator after he gets pushed north or south.
(拙訳)
パイロットが赤道上から出発し、西に向かおうとしているものとしよう。ランダムな横風が彼を一時的に北もしくは南に押し流すが、その後すぐに彼は西へ航路を立て直す。飛行機が1マイル北もしくは南に押し流したならば、彼はオートパイロットにプログラムされた目的地を1マイル北もしくは南に変更する。長く飛べば飛ぶほど、彼は赤道から遠ざかる*4。それがインフレ目標だ。価格水準(もしくは名目GDP)目標下では、彼は北もしくは南に流された後に赤道に戻り続ける*5。