政府プロジェクトのハードル・レート?

昨日紹介したタイラー・コーエンの記事を巡って、デロングとコーエンの間で軽い論争があった。


コーエンのエントリを取り上げたデロングの5/31エントリには、「タイラー・コーエン、貴殿の内なるケインジアンは行方不明か…(Tyler Cowen: Your Inner Keynesian Is Missing...)」といういかにもデロングらしい扇情的なタイトルが付いている。しかし、内容は意外にテクニカルなもので、いきなりニューケインジアンモデル的な代表的個人と代表的投資家から話を始めている。
その話によってデロングが批判対象にしているのは、不確実性が上昇すると総供給が低下する、とコーエンが述べたことである。デロングは、不確実性の上昇によって投資が手控えられたとしても、それで余った労働力は消費財に向けられるだけで、総供給力は変わらない、と主張する。確かに投資水準は本来望ましい水準より低下するので、総余剰は低下するかもしれないが、総労働力は変化しないはずである。問題なのは、需要も同様に投資財から消費財にシフトしてくれれば良いのに、そうはならないことだ、とデロングは言う。


これに対しコーエンは、デロングは信じないかもしれないが、不確実性は消費財――それも高級食品のような非耐久消費財まで――の生産をも低下させるのだ、と反論している。その裏付けとして、いくつかの論文を提示しているが、その中には、不確実性と後戻りの難しい投資との関係を論じたバーナンキの学位論文も含まれている。



デロングはまた、現在は国債金利、即ち政府の借り入れ金利が低下しているのだから、財政政策に何の留保条件を付けることがあろうか、とコーエンの慎重姿勢を批判している。これについてコーエンはエントリを改めて反論しているが、その反論内容は極めてユニークなもの――少なくとも小生は寡聞にして今まであまり耳にしたことが無かった――となっている。
そこでコーエンが持ち出しているのは、エージェンシー問題である。この問題があるため、一般企業では、資本コストとは別に、ハードル・レートがもうけられている、とコーエンは言う。たとえば資本コストが8%の時、予想収益率がそれを上回る投資を認めてしまうと、経営者はとんでもない投資をじゃんじゃんしてしまうかもしれない。そこでハードル・レートを30%くらいに設定し、そうしたエージェンシー問題の発生を防ぐ、というわけである。コーエンは、この話は政府にもそのまま応用でき、たとえば国債金利が3%から2%に低下したとしても、政府プロジェクトのハードル・レートがたとえば15%で変わらないならば、政府投資への実質的な影響は無い、と主張している。


コーエンによると、エージェンシー問題によりもたらされる資本コストとハードル・レートの差は、たとえばスティグリッツが以前から唱えている標準的な学説とのことである。確かに民間企業ではありそうな話ではあるが、それを政府に適用できるかどうかは議論の余地がありそうな気もする(…政府に対して株主から企業経営者に対するのと同様の牽制が働いているのだろうか? そもそも政府投資において民間と同様の投資収益率という考えが適用されているのだろうか? 等々)。