5/25エントリで取り上げたThomaとAndolfattoの論争を受けて、Rajiv Sethiがマクロ経済学者の今後進むべき方向についての彼なりの提言をまとめている。
- 合理的期待形成は行動に関する仮定ではなく、均衡に関する仮定なので、「フォワード・ルッキングな行動」よりもかなり限定されたものである。説得力のある不均衡動学が設定された中でも均衡経路がしっかりと安定しているならば、その仮定は正当化されるだろう。ただし、天下り式に仮定するのではなく、明示的に検討される必要がある。
- 経済変動に関する理論がショックに依存するのか(フリッシュ=スルツキーの系統*1)、それとも依存しないのか(グッドウィンの系統)について考えを巡らせること。グッドウィンの1951年のエコノメトリカ論文を改めて読んで、この区別の重要性を噛みしめるべき。
- レバレッジや担保や債務不履行が中心的役割を演じるモデルを構築すること。これについてはジョン・ジアナコプロスの研究は優れた出発点になっている。彼は均衡理論を使いながらも、事前分布が各人各様になることを許容している(従って、考えの違いが、それらの考えが周知となった後でも継続する*2)。より全般的な話として、ハイマン・ミンスキーの実体経済と金融活動を統合した分析にもっときちんと目を向けるべき。
- 伸縮的な賃金と価格が労働市場の需給一致をもたらすと仮定してはならない。均衡では(定義により)そうなるが、不均衡における賃金と価格の伸縮性はむしろ事態を悪化させかねない。ケインズはそのことを認識しており、トービンはこの仕組みを明確な形で追究した*3。「粘着的価格」という恣意的な仮定は、継続的な失業や低い稼動水準の説明に必須なものではない。
- 最後に、少しは謙虚になれ*4。外の世界には匿名のブロガーがいて、中には独学で経済学を身に付け、あなたがたよりも現代経済の仕組みを分かっている者もいるだろう。