トービンの市場効率性論

Rajiv Sethiがトービンによる市場効率性の4分類を紹介している(出所は1984年のLloyds Bank Reviewに掲載された"On the Efficiency of the Financial System"と題した記念講演録[Fred Hirsch Memorial Lecture]とのこと)。

  1. 情報裁定効率性(information arbitrage efficiency)
    • 市場において、公けになっている情報を元にして取引で利益を上げることが平均して不可能な状態。
  2. 基礎評価効率性(fundamental valuation efficiency)
    • 金融資産の評価が、将来その所有者に対して支払われる価値を正確に反映している状態。
  3. 全部保険効率性(full insurance efficiency)
    • 金融市場システムにより、経済の参加者に対し、将来のあらゆる状況において商品とサービスが獲得できるような保険が用意されている状態。アロー=デブリュー的な効率性と言える。
    • 保険料の支払い方法としては、自分が所有している資源を現在すぐに引き渡して支払いに充てる、もしくは、将来の特定の条件が満たされた際にそれを引き渡す契約を結ぶ、といった方法が考えられる*1
  4. 機能効率性(functional efficiency)
    • 金融業界の経済的機能に関わる効率性。例えば:
      • リスクのプールと、それを担うのに相応しい者への配分
      • 決済の機構とネットワークを提供して、取引を可能にする
      • 貯蓄を、物的もしくは人的な資本への投資に転化せしめる
      • 貯蓄を、より社会的生産性の高い用途に振り向ける


上記の第一の効率性は効率的市場仮説における弱度効率性に対応するものであり、第二の効率性は強度効率性に対応する。トービンは、取引コストを勘案するとアクティブ運用されたポートフォリオは市場に勝てない、という事象を元に、情報裁定効率性(弱度効率性)は一般に成立する、と論じている。しかし、これは基礎評価効率性(強度効率性)の成立を意味するものではなく、市場の投機性は、配当や利益といったファンダメンタルズの変動を何倍にも増幅してしまう、とトービンは述べている。
また、全部保険効率性についてトービンは、例えばインフレに対応するための資産の導入を訴えていたというが、実際にその後TIPSが実現することになる。
トービンが最も懸念していたのは機能効率性に関してであり、以下のように書いている。

What is clear that very little of the work done by the securities industry, as gauged by the volume of market activity, has to do with the financing of real investment in any very direct way. Likewise, those markets have very little to do, in aggregate, with the translation of the saving of households into corporate business investment. That process occurs mainly outside the market, as retention of earnings gradually and irregularly augments the value of equity shares...

I confess to an uneasy Physiocratic suspicion, perhaps unbecoming in an academic, that we are throwing more and more of our resources, including the cream of our youth, into financial activities remote from the production of goods and services, into activities that generate high private rewards disproportionate to their social productivity. I suspect that the immense power of the computer is being harnessed to this 'paper economy', not to do the same transactions more economically but to balloon the quantity and variety of financial exchanges. For this reason perhaps, high technology has so far yielded disappointing results in economy-wide productivity. I fear that, as Keynes saw even in his day, the advantages of the liquidity and negotiability of financial instruments come at the cost of facilitation nth-degree speculation which is short sighted and inefficient...
Arrow and Debreu did not have continuous sequential trading in mind; when that occurs, as Keynes noted, it attracts short-horizon speculators and middlemen, and distorts or dilutes the influence of fundamentals on prices. I suspect that Keynes was right to suggest that we should provide greater deterrents to transient holdings of financial instruments and larger rewards for long-term investors.
(拙訳)
市場の売買高に代表されるような証券業界の活動が、実物投資の資金調達とは直接的にはほとんど関連しないことは明らかである。また、そうした市場は、家計の貯蓄を企業の投資に転化させる活動にも、総体的に見ればほとんど関与していない。そうしたプロセスは、利益の内部留保が徐々かつ不規則に株式価値を高めるという形で、主に市場の外で起きている。・・・
学者としては多分似つかわしくない重農主義的な懸念を敢えて言わせてもらうと、我々は、優秀な若者を含む我々の資源を、商品やサービスの生産には関係の無い金融活動にますます投下するようになっているのではないだろうか。そうした活動は、その社会的生産性には不相応な高い報酬を個人に提供している。コンピュータの多大な能力がこの「ペーパーエコノミー」に振り向けられている。同じ取引をより経済的にすることにではなく、金融取引の量と種類を膨らませることに向けられているのだ。おそらくはこうした理由によって、高度な技術が、経済全体の生産性を上げることについてはこれまで期待外れの結果しか生み出せなかったのだろう*2ケインズは、金融商品流動性と流通性の高さという利点には、何次にも亘る近視眼的かつ非効率な投機を招くという負の側面があることを、彼の時代に既に見抜いていたのではないかと思う。・・・
アローとデブリューは絶え間ない連続的な取引は想定していなかった。そうした取引は、ケインズが述べたように、短期的な視野の投機家や仲買人を惹きつけ、ファンダメンタルズが価格に与える影響を歪曲ないし希薄化してしまう。一時的にしか金融資産を保有しない者にはより制約を掛け、長期的投資家にはより報いるようにすべき、とケインズが提案したのは正しかったのではないか、と思う*3

Sethiは、このトービンの指摘が早くも1984年になされていたことを想起すべき、と書いている。それ以来金融市場はさらなる変貌を遂げ、機能効率性に関する彼の懸念は今日ではますます当てはまるようになったのではないか、とのことである。Sethiはさらに、Willem Buiterが昨年の4/12ブログエントリでトービンの市場効率性の4分類を引用し、同様の懸念を示したことを指摘している(ちなみに、そこでBuiterは裏付け資産を伴わない裸のCDS取引を禁止するように訴えているが、その議論は最近ますます白熱しているとの由)。

*1:後者はたとえばリバース・モーゲージが該当するものと思われる。

*2:cf. ソロー・パラドックス(その後の生産性向上により、これは死語に近くなってしまったが…)。

*3:この辺りはトービン税を想起させる。