シンクタンクなんかいらない?

Economist's ViewのMark Thomaが珍しく感情的なまでの批判を行なっている。その槍玉に挙がったのは米国のシンクタンク

I think these organizations -- think tanks -- have done great damage to economics. We hurt ourselves enough with the events leading up to the financial crisis, but there has also been a blurring of lines between academic research and think tank research -- some of which is simply not honest -- that has made it appear that there are divisions within the profession that simply do not exist, or that there is stronger support for some ideas than actually exists. The main problem, I think, is the he said - she said presentation of academic work in the media alongside the papers that think tanks put out as though there is an equivalence (or a similarly structured debate on, say, CNN). Much of the think tank work (but not all) is junk and no such equivalence exists, but the work is often given equal footing in the press. One of the reasons I started this blog was the frustration of hearing what economists "believe" (e.g. "tax cuts pay for themselves"), when those beliefs were anything but widely held. But you wouldn't know that reading the paper or watching the news. (I should probably go back and clean up what I just wrote, but out of time so I'll have to leave as is and hope it makes some sense...)

Economist's View: "The End of the Think Tank"

(拙訳)
私はこうした組織――シンクタンク――は経済学に非常な害をもたらしたと思う。我々経済学者は金融危機に至るまでの過程で十分に自分自身を傷つけたが、それに加えて、学界の研究とシンクタンクの研究――その一部は単に不当な研究――の区別が曖昧になったことが、実際には存在しない経済学者間の意見の相違があるように見えたり、もしくはある考えについて実際以上の強い支持があるように見えたりすることにつながった。一番の問題は、誰それがこう言った、という形でのマスコミでの学術研究の紹介の際に、シンクタンクの出した論文が同等のものとして扱われていることにある、と私は思う(あるいは、たとえばCNNでの討論でも同様の構図が見られる)。シンクタンクの研究の(すべてではないが)多くはがらくた同然で、そうした同等性など存在しないのに、マスコミではしばしば対等のものとして扱われる。私がこのブログを始めた理由の一つは、実際には決して広く支持されていないのに経済学者が「信じている」とされること(例:「減税は元が取れる」)を聞くのにうんざりしたためだ。そうしたことが経済学者に支持されていないことは、新聞を読んだりニュースを見ただけでは分からない。(多分この文章は見直して清書すべきなのだろうが、もう時間が無いので、意味が通じるだろうと信じてこのままアップする…)


Thomaのこのコメントは、ブルース・バートレット(Bruce Bartlett)がシンクタンクの“三国志”を描写した「The End of the Think Tank」というフォーブス記事の紹介に加えられたものである。そちらの記事の概略は以下の通り。

  • ブルッキングス研究所はリベラルの傾向があったので、第二次大戦後、保守的な企業家たちがそれに対抗してアメリカンエンタープライズ研究所(AEI)を設立した。しかし、ブルッキングスが高い水準の研究者を集めたのに対し、1950-1960年代当時は保守的な研究者が少なかったので、AEIが研究水準で対抗するのは困難だった。
  • しかし、政策当局者は、1冊の本を何年も掛けて仕上げるブルッキングスやAEIの研究ペースに不満を持っていた。その一人が、共和党の下院スタッフだったエドウィン・フュルナー(Ed Feulner)*1。彼の怒りは、共和党がある案件を巡って議会で敗北した後になって、その案件の有力な支援材料となる本がシンクタンクから出てきたことで頂点に達した。
  • より素早く研究結果を出すシンクタンクが欲しい、というフュルナーのビジョンに基づき、1973年に設立されたのがヘリテージ財団。スタッフとしては年齢の高い博士号所有者ではなく、修士卒が集められた。彼らの仕事はオリジナルの研究ではなく、既存の保守派の研究をまとめることだった。彼らの成果物は、何百ページにも上る本ではなく、10ページ以下の場合が通例だった。
  • バートレット自身も1980年代にヘリテージで働いていたが、そこの地下室には、それまで見たこともないような大型のコピー機があった。なぜもっと安いオフセット印刷を使わないのか、と尋ねたところ、コピーの方が早いから、とのことだった。1000部を刷る場合、印刷だとまず1ページ目を1000部刷り、次に2ページ目を1000部刷り…、となるが、コピーだと最初に完全な文書コピーが手に入る。
  • ヘリテージの職員は、コピー機から出るや否やそれらの文書を持って下院に駆けつけ、配布した。バートレット自身、当時話題のテーマについて1ページ程度の文書を書いたところ、その日のうちに下院に届けられた、という経験をした。インターネット時代の今となっては当たり前に思えるが、1970-1980年代当時としては画期的だった。
  • 1990年代に入ると、他のシンクタンクも同様にスピードアップし、かつ話題のテーマに焦点を当てるようになった。その結果、シンクタンクの法案に与える影響力が増した。
  • その影響力と、シンクタンクによる箔付けに目を付けた企業家たちは、シンクタンクへの寄付を増やした。しかしそれは、シンクタンクがドナーの意向に沿うようになることも意味した。こうしてシンクタンクは、単なるロビー活動の一翼に堕していった。それと共に党派性も増し、研究員への圧力も増していった。
  • その象徴が、最近AEIが、デビッド・フラム(David Frum)というブッシュ前大統領のスピーチライターを務めたことのある研究員を解雇したこと。理由は、共和党の医療改革法案反対の戦略を批判したためと見られる。
  • ヘリテージ会長のフュルナーは、先ほど、ヘリテージの政治部門を担う機関を設立すると発表した。その機関は非営利機関に課せられる党派的な中立性の制約を受けないので、存分に特定の法案の支持や反対の活動ができる。おそらく、他のシンクタンクも今後それに倣うだろう。

なお、バートレット自身、ブッシュ批判によってNational Center for Policy Analysisというシンクタンクを解雇された経験を持っており、フラム解雇に寄せてそのことを自ブログに書いている。ちなみにそのエントリは、フラム解雇騒動を取り上げたHuffington Postクルーグマンからリンクされている。

経済学を専門に修めたわけではないのにサプライサイダーとして活躍した来歴からすると、本来バートレットは、Thomaやクルーグマンのようなリベラルな経済学者にまさに矛先を向けられる側に立つはずだが、彼らにむしろ一定の敬意をもって扱われているのは、そうした経緯によると思われる。敵の敵は味方、というわけだ。


バートレットは上記のThomaのコメントを受け、今度はブログでマスコミ批判を展開している。それをさらにThomaが取り上げ、以下のようにコメントしている。

I'm not sure what the answer is. The elevation of entertainment over facts isn't going to change as that is the most profitable strategy for the networks, and economists are unlikely to become more entertaining.

On "Heritage's breakthrough in developing short, readable, time-sensitive policy analyses is that they were just as useful to the media as they were on Capitol Hill," I think the outlook is better. A good blog post is exactly this, a "short, readable, time-sensitive policy analysis," and reporters do read and use these posts as contact points. Thus, I think that the internet -- blogs in particular -- have broadened considerably the number of experts that the print media has access to, and it has also given them comprehensible summaries of academic work. This has blunted the effectiveness of similar type of work from think tanks as reporters have come to rely more and more on blog posts and their authors as background and sources for their reports.

Economist's View: Think Tank Politicization

(拙訳)
財政赤字を巡ってクルーグマンとロバート・サミュエルソンを討論させたCNN番組を見て、なぜマスコミはサミュエルソンのような素人の言うことに信を置くのか、という疑問を投げ掛けたメンジー・チンの問いかけに対し)その答えは良く分からない。事実よりもエンターテインメントを重視する傾向は、それがテレビ局の利益最大化につながる戦略である以上、今後も変わらないだろうし、経済学者がもっとエンターテイナーになるとも思われない。
「短くて読みやすく時宜にかなった政策分析というヘリテージのブレークスルーは、議会におけるのと同様、マスコミにとっても有用だった」という(バートレットが指摘した)点については、それ自体は良いことだと思う。良いブログポストはまさにそれ、即ち「短くて読みやすく時宜にかなった政策分析」であり、記者たちはそのポストを読み、かつ接点として利用する。従って、インターネット、特にブログは、活字媒体のマスコミが接触できる専門家の数を飛躍的に増やすと同時に、彼らに学術研究の理解可能な要約を提供してきたと思う。このことはシンクタンク発の同様のレポートの効果を削いできた。記者たちは、記事の背景や情報源として、ますますブログポストやその書き手に頼るようになってきているからだ。