経済学者なら賭けに応じろ

マンキューのクルーグマンへの賭けの要求をネタに、Econlogのブライアン・キャプランがそう書いている。

I have a dream that one day, people who refuse to bet on their statements will be viewed with greater contempt than those who bet and lose.
(自分の発言について賭けようとしない人が、賭けて負けた人よりも大いなる軽蔑を以って見られる日がいつか来るだろう)

The Mankiw-Krugman Non-Bet - Econlib


これについては、アイディアに税金を課すようなものだ、と同じジョージ・メイソン大学(GMU)のタイラー・コーエンが異議を唱えている。たとえばコーエンはブログでいろんなテーマを取り上げ、予測めいたことも書いているが、それらすべてについて賭けに応じる義理はないし、実際問題として不可能だ、というわけだ。
コーエンは、賭けという意味では、各人の投資ポートフォリオこそがその人の本当の賭けと言えるが、キャプランも自分の投資ポートフォリオをGMUや一般に公開しているわけではないだろう、と指摘している。また、考えは変わるものだが、それに応じて逐一ポートフォリオを組み替えるアクティブ運用をするわけにもいくまい、とも書いている。
さらに、次のエントリでコーエンは、万年悲観論のルービニが、一方で株に全額投資していることを、考えと投資の分離の(極端な)例として挙げている。


それに対し、キャプランとGMUの別の同僚であるハンソンが反論し、無責任な雑音を減らすために役立つならそれはそれで良いではないか、というようなことを書いてる。


ちなみにブロガーのリー・コールドウェルによると、昨日取り上げたショールズは、昨年の6月に、今年の3月7日までに危機が終息すると予言したそうだ。3月3日のエントリでコールドウェルは、7日までに危機が終息するのは無理にしても、それまでにオバマIMFによってリフレ策が宣言されたら、ショールズにシャンパンを奢ってやる、と宣言した(もちろん実現しなかったが)。
マンキューのもそうだったが、このような負けてもハッピーな賭け(賭け金は払わなくてはならないが、経済は良い方向に進む)というのは、応じる方(負けた場合には、賭け金を払わなくてはならない上に経済も悪い方向に転落する)とペイオフの構造が明らかに違う。そうした賭けは、挑む側には心理的補償を確保する(経済が悪くなっても賭け金が得られる)というインセンティブがあるが、応じる側にはそうしたインセンティブは働きにくい(予測が当たって経済が良くなったらそれで充分満足し、さらに賭け金まで得ようという気にはならない)。その点は、上記のキャプランやコーエンの議論で見過ごされているように思われる*1

*1:ちなみに、最初のエントリでキャプランは自分自身の賭けについて書いているが、それもTARPプランが損失をもたらす方に賭けるもので、やはり上記の「負けてもハッピーな賭け」に属すると言える。