応用ミクロの現状と課題

30日エントリで紹介したノアピニオン氏のブルームバーグ論説は、英国の新聞や雑誌で展開された経済学批判を槍玉に挙げていたが、最後に、エコノミスト誌で今度始まった経済学批判はどうなることやら、と書いていた。そのエコノミスト誌の応用ミクロ経済学批判に反論する形で、マシュー・カーンが応用ミクロの将来の展望が明るい理由を挙げている

  1. 応用ミクロの研究者は、かつてないほどのデータと計算能力にアクセスでき、精緻な計量経済手法もかつてないほど容易に利用できる。改良されたStataのパッケージソフトでは、過去の研究者が課した統計的仮定の多くを緩和できる。そうした「頑健な」推定により、真実に近付くことができる。
  2. 「自然実験」や不連続や明示的なランダム化により、「原因変数」(X)の変動はかつてないほど豊富にある。
  3. グーグルの到来、および欧州ならびに非西側諸国での経済学の勃興により、現在の応用ミクロ研究者の界隈では、五大誌、および、NBERとIZAとCEPRのワーキングペーパーにどのような発見が掲載されるかを「リアルタイム」に知ることができる。今や世界中に非常に多くの応用ミクロ経済学者がいるため、競争によりイノベーションと進歩が促される。
  4. 再現研究は増加しており、この分野の「科学」としての進歩の重要な一部となっている。
  5. アマゾンのような先進企業は定量分析の訓練を大いに重視している。学部生はそのことを知っており、そうした方向のキャリアが追求できるように、数学やコンピューターのプログラミングや経済学や統計学の訓練に投資している。そうした若い人たちの中には経済学の博士課程に進む者も出てくるだろう。それらの才能の流入により、応用ミクロは力強く発展する。
  6. ラジ・チェティ(Raj Chetty)らの学者の尽力により、IRSの税データなど行政データを利用することの威力が今や世界中でますます明らかになっている。経済発展をもたらす方法を「自分が知らない、ということを知っている」政府官僚がJ-PAL*1などの経済学者との連携を深め、実験と学習で協力することを期待する。これはミクロ経済学者としてのハイエクの最善の形態である。


その一方でカーンは、以下の懸念も表明している。

  1. 応用ミクロ経済学者はマーケティングに抜け目がない
    • 応用ミクロ経済学者は、論文を書く前に、それがメディアとブロガーにどのように解釈されるであろうかを知っている。特定の政治的志向を持つ教授は、メディアが反応するように論文を書いて、一線を踏み越えそうになる可能性がある。これは環境経済学でしょっちゅう目にすることである。研究と主義主張の行動との境界が曖昧になるこの領域では、経済学者は十分に注意する必要がある。
  2. 完全競争モデルを巡る闘争
    • 最低賃金の影響などについての応用ミクロ経済学者の予測は、その多くが労働市場での完全競争の仮定に基づいている。ジョー・スティグリッツなど多くの経済学者は、労働市場や生産市場における広範な市場支配力が経済のあちこちに存在する、と論じている。市場支配力(企業の価格設定能力)の存在は、応用ミクロの研究において重要な意味を持つ。それは、応用研究における進歩は、ゲーム理論と戦略的プレイと応用実証の研究が連携を深めること無しにはあり得ない(「価格を所与のものとする」という暗黙の仮定はもはやできない)、ということを意味する。
  3. 経済学者の「キャリアの心配」
    • 30代の研究者は優れた研究を行うことに専念するが、それを過ぎるとコンサルティングを行ったり政府の仕事を求めたりするようになる。そうしたキャリアパスの展望は、若手時代に行う応用ミクロ研究に影響を及ぼすだろうか?
    • そうした懸念を和らげる良いニュースは、再現性の時代、若手経済学者が従来の研究に挑んでそれに成功すれば名を上げることができる時代には、そうした動学によって現世代の「悪しき行動」を律する可能性がある、という点である。
  4. ルーカス批判の継続的な無視
    • 気候変動の経済学では、猛暑と経済成長との過去の相関を論じる。しかし、かつてカーンが指摘したように、過去のそうした相関に学んで、経済成長が気候変動を起こさないような投資が行われ、将来的にその相関が小さくなる可能性がある。

*1:cf. ここ