ストック−フロー一貫モデルと従来の計量経済モデルの違い

サイモン・レン−ルイスが、SFCモデル(Stock-Flow Consistent model)なるモデルをブログで批判的に取り上げている

レン−ルイスがWikipediaから引用するところによれば、SFCモデルとは、「a family of macroeconomic models based on a rigorous accounting framework, which guarantees a correct and comprehensive integration of all the flows and the stocks of an economy(厳密な会計のフレームワークに基づくことにより、経済のすべてのフローとストックを正しく包括的に統合することが保証されたマクロ経済モデルの一群)」とのことである。


レン−ルイスは、英国のSFCモデルを提示したBOE論文から、SFCモデルをDSGEモデルと比べた場合の長所と短所を列挙した表を引用している。以下はその表の拙訳。

長所 短所
通常、国民経済計算の制約を用いて枠組みを提供する モデルの方程式が特定の主体の最適化問題に明示的に結び付いていない
グロスのフローとバランスシートのポジションが部門別にモデル化できる 枠組みがきちんと確立されておらず、他の研究から洞察を取り入れるのが困難
金融資産や債務のポジションから生産や支出の経路へのフィードバックをモデル化するのに使える モデルは複雑であり、使われている主要な経済のメカニズムの働きを説明するのが困難
貨幣、信用、金融システムの重要な役割を取り込むことができる データに持っていくのが大変:必要とされるデータが、より標準的なDSGEモデルに比べて多い
主体の予想を様々に特定化する枠組みを提供できる モデルのパラメータはルーカス批判を免れない:政策レジームの変化や、駆動過程の時系列特性の変化に影響される
SFCは、おそらく間違いなく、ミクロ的基礎付けを持つ多くのモデルよりも行動の仮定が現実的である モデルがあまり明確に経済理論と関連付けられていない


この表についてレン−ルイスは以下のような指摘を行っている。

  • 短所1はほぼ定義そのもの。DSGEモデルはミクロ的基礎付けを持つが、SFCモデルはマクロベースの関係を出発点とする。ただ、このことはSFCモデルに限った話ではなく、従来の計量経済モデルも同様。
  • 短所3と短所4も、多くの大型の計量経済モデルと共通した話。また、短所5は短所1から直に出て来る話。
  • レン−ルイスに言わせれば、短所6こそが、他の計量経済モデルに比べた場合のSFCモデルの特徴。他の計量経済モデルでは、使用する関係性の理論的起源にこだわるのが一般的だが、BOE論文を見る限り、SFCモデルはそうではない。
  • 長所に目を転じると、他の計量経済モデルへの目配りが欠けていることが一層明らかとなる。長所1と長所2は、DSGEを含め、どのモデルにも当てはまる話である。長所3は非常に重要ではあるものの、やはり多くの計量経済モデルと、DSGEモデルの一部に当てはまる。
  • 長所4もDSGEを含めたどのモデルにも当てはまる話。長所5も、予想変数が明示的に特定化されていれば、どの計量経済モデルにも当てはまる。
  • 長所6も、ほぼ必然的にどの計量経済モデルにも当てはまる話。というのは、マクロベースから出発して理論と折り合いを付けようとすれば(かつ、内的整合性を暗黙裡に断念すれば)、DSGEに比べてデータの当てはまりは良くなる。


レンールイスは以下のようにエントリを結んでいる。

To summarise, if you were to ask how this model compares to other aggregate (non-microfounded) models, the answer would probably be that it takes theory less seriously and it has a rather elaborate financial side.
The New Classical counter revolution had many good and bad consequences, but one of the undesirable consequences was, it seems, to define the equivalent of a year zero in macroeconomics, where nothing that was not in the New Classical tradition created before (or even after) this revolution is deemed to exist. The same should not be true for heterodox economists. If you are going to effectively return to a pre-DSGE tradition, please do not pretend that tradition did not exist.
...One of the big dangers with any kind of elaborate aggregate model is that you can get bizarre model properties from not thinking enough about the theory, or imposing enough because of the theory. Knowing some of the authors I doubt that has happened in this case. But it would be a mistake for others to believe that the properties of their model show the importance of accounting rather than the theory they have used.
(拙訳)
まとめると、このモデルが他のマクロ(ミクロ的基礎付けを持たない)モデルと比較してどう違うのか、と問うた場合、その答えは、理論をそれほど真剣に捉えていない半面、金融面を丁寧に作り込んでいる、というものになろう。
新しい古典派の反革命は、善悪両面の帰結を数多くもたらしたが、望ましくない帰結の一つは、マクロ経済学における零年に相当するものを定義したように思われる点である。即ち、この革命以前に(あるいは以後でも)創造されたもので新しい古典派の伝統に則っていないものは、存在していないものと見做される。異端派の経済学者はそのような態度をとるべきではない。DSGE以前の伝統に正式に回帰したいのであれば、そうした伝統が存在しなかった振りはお止め頂きたい。
・・・いかなる種類の精密なマクロモデルにおいても大きな落とし穴が存在するが、その一つは、理論のことを十分に考えないため、もしくは、理論の制約を十分に掛けないため、奇妙なモデル特性を得てしまう、というものである。論文の著者の中には知人もいるので、ここでそうしたことが起きたとは思わない。しかし、彼らのモデルが、彼らの使用した理論よりも会計の重要性を示した、と考えるのは間違いである。