定年を延長すると総貯蓄が減る

という考察を示したFanti論文(2012)*11年ほど前に取り上げたことがあったが、その際、uncorrelated氏より、論文が前提にした年金の確定拠出制度と、日本のような確定給付制度では結果が逆になる、という指摘を受けた。
ただ、最近公表された平成26年財政検証詳細結果を見ると、先行きの保険料率を18.3%横ばいで試算している。uncorrelated氏は、日本の制度でτ(=論文において保険料率を表す記号)を一定に置くことは非現実的である、として上記の指摘をされたわけだが、厚生労働省はまさにτ一定の前提下で財政検証を行っているのである。


また、以下に示す通り、仮に字義通りの確定給付を前提とし、τがそれに従って決まるとした場合でも、必ずしもFantiの結果が逆転するとは言えないのではないか、と思われる。


Fanti論文では総貯蓄は以下の(7)式で表される。
  s_t=\frac{1}{1+\gamma}\left[w_t(1-\tau)\gamma-\frac{w_{t+1}(1-\tau)(1-\lambda)}{(1+r_{t+1})}-\frac{{\lambda}z_{t+1}}{(1+r_{t+1})}\right]

ここでγは主観的割引率、wtはt期の賃金、rtはt期の利子率、ztはt期の年金の満額支給額、λはOLGモデルにおける老齢期に占める年金受給期間の割合である。
Fantiの論理は、老齢期に働くと若年期の貯蓄へのインセンティブが削がれる、というものだが、上式では、角括弧内の第二項と第三項の老齢期の収入(第二項が定年延長期間中の収入、第三項が年金受給期間中の収入)が総貯蓄にマイナスで効くことによりそのことが示されている。

ちなみに前回エントリでは

(uncorrelated)氏はλ下落で年金の受取総額が増えることにより若年層の貯蓄インセンティブが損なわれることを気にされているが、このモデルではそれは副次的な話に過ぎず、上述の通り、それよりは定年延長後の労働自体が貯蓄インセンティブを失わせる要因となっている*1。

と書き、注では定年延長による掛け金支払い増加の効果を無くした場合の年金受給総額を導出したが、それを上式に当てはめ、かつ確定給付ということでzt≡zとすると以下のようになる。
  s_t=\frac{1}{1+\gamma}\left[\frac{(w_t-{\lambda}z)\gamma}{(1+n)}-\frac{w_{t+1}(1-\lambda)}{(1+r_{t+1})}-\frac{{\lambda}z}{(1+r_{t+1})}\right]
ここでnは人口成長率である。

この式をλについて微分すると、以下のようになる*2
  \begin{eqnarray}\frac{\partial{s_t}}{\partial{\lambda}}&=&\frac{1}{1+\gamma}\left[\frac{-z\gamma}{(1+n)}+\frac{w_{t+1}-z}{(1+r_{t+1})}\right]\\&=&\frac{w_{t+1}}{(1+\gamma)(1+r_{t+1})}\left[1-\frac{z}{w_{t+1}}(1+\gamma\frac{(1+r_{t+1})}{(1+n)})\right]\end{eqnarray}
この角括弧の中の正負によって定年延長の総貯蓄に対する効果が決まるわけだが、論文ではγとして0.3という値を示している。nについては、出生率=1.35の前提の基にn=-0.333という数字を弾きだしているが、厚生労働省財政検証の人口中位ケースではまさに合計特殊出生率として1.35を仮定している。また同検証では、対賃金スプレッドベースの運用利回りとして1.0〜1.7%という数値を示しているが、その利回りを30年続ければ、1+rは1.35〜1.66となる。以上の数値を当てはめると、1+γ(1+r)/(1+n)として1.61〜1.75という値が得られる。これにz/w(所得代替率)を掛けたものが1より小さければ、λが大きいほど(=退職期間が長いほど)総貯蓄が上昇するわけであるが、厚生省試算では所得代替率は良くて0.5をキープするのがやっとであり、その条件が満たされる可能性は小さくないように思われる*3

*1:当時のリンク先は今は無効なようだが、該当論文はここで読める。

*2:これはuncorrelated氏が「追記(2013/05/18 15:00)」で導出された式と概ね等しい。なお、uncorrelated氏はrへのλの効果も考慮しているが、論文の利子率は生産の資本比率とスケールパラメータだけで決まるようになっているため、その効果は少なくとも論文のモデル上は存在しない。また、仮に存在したとしても、λが直接rに効くのではなく、貯蓄sを通じて発揮されると考えられるため、当のsの式の中でその効果を考えるのはややトリッキーかと思われる。

*3:ただしwt+1は定年延長期間中の賃金なので、現役世代の賃金wtより低くなる、という議論はあり得る。その一方で、
 ・wtは働き始めて年数の浅い人も含めた総平均であるため、差はそれほど大きくならない
 ・wt+1があまり低いと定年後も働くインセンティブが失われるため、低下には限界がある
とも考えられる。