ケインズによる経済学の定義

と題したエントリ(「Econ 2: Further Reading: John Maynard Keynes's Definition of What Economics Should Be」)でデロングが、1938年7月4日付けのケインズからハロッドへの手紙紹介している
この書簡は、こちらの本で引用されている

経済学は論理学の一分野であり、思考の一方法です。

という言葉や、同書の著者がブログでまとめた

経済学はモデルの改善によって進歩するが、可変的な関数に実際の数値を当てはめるべきではない。統計的研究の目的は、モデルの妥当性・有効性をテストすることにある。

というティンバーゲン流の手法への批判や、こちらでツイートされた

経済学は本質的にモラル・サイエンスであって、自然科学ではありません。すなわち、経済学は内省や価値判断を用いるのです。

といった言葉で有名であるが、ここではモデルの選択について述べた箇所に焦点を当てて引用してみる。

One can make some quite worthwhile progress merely by using your axioms and maxims. But one cannot get very far except by devising new and improved models. This requires, as you say, "a vigilant observation of the actual working of our system". Progress in economics consists almost entirely in a progressive improvement in the choice of models. The grave fault of the later classical school, exemplified by Pigou, has been to overwork a too-simple or out-of-date model, and in not seeing that progress lay in improving the model; whilst Marshall often confused his models, for the devising of which he had great genius, by wanting to be realistic and by being unnecessarily ashamed of lean and abstract outlines.
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Economics is a science of thinking in terms of models joined to the art of choosing models which are relevant to the contemporary world.
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Good economists are scarce because the gift for using "vigilant observation" to choose good models, although it does not require a highly specialised intellectual technique, appears to be a very rare one.
(拙訳)
公理公準を使うだけでもかなりの進歩を遂げることはできましょう。しかし、新たな改善されたモデルを開発することなしには、長足の進歩は望めません。その開発は、貴兄のいわゆる「我々のシステムの実際の働きに対する明敏な観察」を必要とします。経済学における進歩はほぼすべて、モデルの選択が改善し進展したことに存しています。ピグーに代表される後期古典派の大いなる誤りは、あまりにも単純なモデル、もしくは時代遅れのモデルを使い過ぎた点、ならびに、モデルの改善にこそ進歩が存するということに気付かなかった点にあります。一方、マーシャルはモデルの開発に大いなる才を見せましたが、それを現実的にしようとしたり、無駄を省いた要約的な枠組みになっていることを不必要に恥じたりしたため、しばしばモデルを滅茶苦茶にしてしまいました。
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経済学は、モデルを用いて考える科学と、現在の世界に関係のあるモデルを選択する技術が組み合わさったものです。
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優れた経済学者は多くありません。というのは、「明敏な観察」を用いて良いモデルを選択する才能は、かなり特別な知的技法が要求されるわけではありませんが、非常に稀なもののようだからです。