行動経済学と情報公開

ジョージ・ローウェンスタインのインタビューの拙訳を続けてきたが、今日がその最後:

インタビュアー
金融改革の提案は情報公開を要とすることが多いです――例えば、仲買人がある商品を売る際にリベートをもらっているかどうか言うことを義務付ける、というような。そうした試みはうまく行きますか?
ジョージ・ローウェンスタイン
利益相反について情報公開することは様々な思わぬ帰結をもたらす、ということに関しては有力な実証結果があります。
例えば、かかりつけの医者が利益相反の状況にあるとしましょう。もしあなたが臨床試験を受ければ、キックバックを得られるというような話です。その情報に対しあなたはどう反応するでしょうか?
大抵の人々は、医者を信頼し、その助言を受け入れます。しかし我々の研究が見い出したところによれば、助言を与える側の方に、情報公開したことによる変化があります。彼らは、助言が割り引いて受け取られるかもしれないという恐れから、もっと助言に熱を入れるようになるのです。また彼らはそうした行為を、「私は彼にきちんと警告した」と自分自身に言い聞かせることによって正当化することができます。結局この事例では、医者はもっと助言を強調するようになり、人々はもっとそれに従うようになる、という効果が生まれます。
インタビュアー
情報公開が消費者の反応を変える、ともおっしゃっていたと思います。
ジョージ・ローウェンスタイン
もうひとつの重要な問題は、我々が言外の気遣い(insinuation anxiety)と呼ぶものです。
例えば私があなたに臨床試験を勧め、利益の相反については何も触れなかったものとしましょう。あなたが拒否すれば、それは単にあなたが今の薬を気に入っているか、もしくは危険回避的であることを意味するに過ぎないでしょう。
しかし私が「ところで、あなたが臨床試験を受けて下されば私に1000ドルが入ります」と言ったらどうでしょう? その場合は、あなたが拒否すれば、あなたが私を信頼していないことを示唆することになります。ここでは、利益相反の情報公開により、助言に対するあなたの信頼が低下する一方で、助言を受け入れることについてあなたがプレッシャーを感じるようになるかもしれない、というパラドックスが生じます。
こうしたことはありますが、私は情報公開をすべきと考えています。医者が薬を処方する際、医薬品の製造業者から彼が支払いを受けているかどうかを知るのは私の権利です。問題は情報公開が良いか悪いかではなく――それは良いことなのです――それをいかに効果的なものにするか、ということです。それが我々の現在の研究の一つの主要なテーマです。