なぜリバタリアン経済学者はブロガーとなるのか?

というテーマでブライアン・カプランがEconlogにブログ記事を書いていた

I've heard the question many times: "Why do so many GMU economists blog?" The number and ratio are indeed extraordinary: I count 9 bloggers out of the 28 tenure-line faculty on the department's homepage - not to mention our students and adjunct professors like Arnold Kling.

Sour Grapes is one popular explanation. Since GMU econ faculty can't publish "real articles" in "real journals," we took our marbles, went home, and started blogs. But there are three big problems with this story.

First, the GMU economists who blog the most also publish the most conventional journal articles. See Tyler Cowen.

Second, most econ faculty who don't publish in academic journals don't blog; they don't write anything at all.

Third, while most people do like grapes, few intrinsically enjoy academic economics. Don't believe me? Ask yourself this: If econ were a hobby rather than a profession, how many leading economists would do conventional research in their spare time for free? If you can say "10%" with a straight face, let me know.

To understand the real story of GMU econ blogging, you have to know our biographies. (Several are right here). None of us discovered economics in a mainstream econ class, found it fascinating, then decided to try to ascend the academic hierarchy. Instead, our inspiration came from libertarian books, libertarian friends, and libertarian intellectuals, plus our broader reading in philosophy, history, and the history of economic thought. Once we fell in love with ideas, we asked, "How can I make a career out of this?" We would have preferred to be instantly anointed as public intellectuals. But the best realistic path, we learned, was "Become a professor of economics."

To secure academic positions, we all endured years of grad school boredom. Some of us even spent years boring ourselves doing conventional research to get tenure. (See my dissertation). But our ultimate goal was always the same: Get paid to pursue the kind of ideas that inspired us to study economics in the first place.

Once you know these biographical patterns, you should be amazed if lots of GMU economists hadn't started blogging. Think about it: Here's a forum where you write for a sizable, high-quality audience about anything that interests you. Here's a forum where you can eternally debate other people obsessed with ideas. Here's a forum where you can instantly pose as a public intellectual - and try to "fake it till you make it." Here's a forum that actually penalizes atrocious academic writing!

None of this is very appealing to most academic economists. They're content to spend their lives doing normal science. But for professors who've always wanted to live the life of the mind, blogging is a dream come true.


(拙訳)
「なぜこれほど多くのジョージ・メイソン大学(GMU)の経済学者がブログを書いているのか?」という質問を数多く耳にする。実際、その数と割合は驚くべきものである。私が数えたところ、学部のホームページに載っている28人のテニュアを持つ教授のうち、9人がブロガーである。それ以外にもちろん、学生やアーノルド・クリングのような非常勤の教授もいる。


一般的に挙げられる理由の一つが、酸っぱい葡萄である。GMUの経済学部教授は「本当の学術誌」に「本当の論文」を載せられないので、すごすごと家に帰り、ブログを始める、というわけだ。しかしこの説明には3つの大きな問題がある。


第一に、GMUで最もブログを書いている経済学者は、通常の学術誌の論文も最も多く書いている。それは、タイラー・コーエンである


第二に、学術誌に論文を書かない教授は概ねブログも書いていない。彼らは何も書かないのだ。


第三に、たいていの人は葡萄が好きだが、経済学の学術研究を心から楽しむ者はあまりいない。信じられないって? ならば、こう自問自答してみてほしい。もし経済学が仕事ではなく趣味だったら、指導的な経済学者のうち従来型の研究を自分の余暇の時間に無償で行う者が何人いるだろうか? もし本気で「10%」と言えるならば、私に知らせて欲しい。


GMUの経済学者がブログを書く本当の理由を理解するためには、我々の経歴を知る必要がある(幾人かについてはここで読める)。主流派経済学を大学で受講してそれに魅かれ、学界の階段を上がっていこうと決意した者は一人もいない。我々が啓示を受けたのは、リバタリアンの本、リバタリアンの友人、そしてリバタリアンの知識人からであり、また、哲学や歴史や経済思想史の本を幅広く渉猟したことによってである。その思想に魅せられた我々は、「どうやってこれで社会に認められるようになれるだろうか?」と問い掛けたものだ。我々はすぐにでも世に認められる知識人になりたかった。しかしそこで分かったのは、「経済学部教授になる」ことが最も現実的な道だ、ということだった。


学界での地位を確保するため、我々は皆大学院の退屈な日々に何年も耐えた。中には、テニュアを獲得するために、退屈な従来型の研究をすることに何年も耐えた者もいる(私の学位論文を参照)。しかし、我々の最終目的は変わることが無かった。それは、我々がそもそも経済学を研究するきっかけとなった類の思想を追究して給与を得たい、ということだった。


こうした経歴の共通パターンを知ってしまえば、多くのGMUの経済学者がブログをまだ始めていないとしたら、むしろそのことに驚くだろう。考えてもみて欲しい。相当な人数の質の高い読者を相手に、自分の興味の持ったことを何でも書ける場があるのだ。様々な思想に取り付かれた人々と際限なく議論ができる場があるのだ。直ちに世に認められる知識人として振舞うことができる場があるのだ――本当にそうなるまではその振りをすれば良い。質の悪い学術論文を実際に罰することのできる場があるのだ!


大方の学界の経済学者にとっては、これはあまり魅力的なものではないだろう。彼らは通常の科学を実践して日々を送ることに満足している。しかし、知的生活を送りたいと常に願っている教授にとっては、ブログは夢が現実化したものなのだ。


そういえばクルーグマンも、一般向けに経済論説を書くことの愉しみについて少し前にブログで書いていた。彼の場合は、別に世に認められる知識人になりたいと強く望んでいるわけではなく*1、研究そのものを学術研究とは違った形で継続するのが面白い、とのことだった。周知の通り、クルーグマンはケインジアニズムを強く信奉しているわけだが、その一方で、ブログ上で実際にデータを(猫の手を借りて)グラフ化して分析するということを日常的に行っている。そして、あくまでもそうした分析から読み取れる現実に最も整合的なのがケインズ経済学なのだ、という姿勢を取っている。その点では、上述でカプランが描くような、まず思想ありき、というリバタリアンのブロガーの姿勢とは大きく違う、と言えるだろう。

*1:ただしそれも、実際に彼が世に知られるようになって、自分の声の届く範囲が広がったのと引き換えに、様々な重荷を背負うようになった、という現実を前にしてのことなので、昔からそうだったかどうかは分からない。