トレーニングペーパー

昨日のエントリ吉川洋氏の新書の記述を紹介したところ、そんなケインジアンの昔の本を引っ張り出しても…、というような反応を一部で貰った(例:ここここ)。そこで、最近の吉川氏は経済学に関してどのような発言をしているかな、と思ってぐぐってみたところ、青木正直氏との共同研究がいくつか引っ掛かった。例えばこちらの論文を見てみると、やはりリアル・ビジネス・サイクル理論やルーカスに対して批判的なスタンスを見せていると同時に、奇しくも今年のノーベル経済学賞を受賞したサーチ理論をも槍玉に挙げている。


以下はその要旨。

The standard Walrasian equilibrium theory requires that the marginal value product of production factor such as labor is equal across firms and industries. However, productivity dispersion is widely observed in the real economy. Search theory allegedly fills this gap by encompassing apparent disequilibrium phenomena in the neoclassical equilibrium framework. Taking up Lucas and Prescott (1974) as a primary example, we show that the neoclassical search theory cannot explain the observed pattern of productivity dispersion. Non-self-averaging, a concept little known to economists, plays the major role. Empirical observation suggests strongly the presence of disturbing forces which dominate equilibrating forces due to optimizing behavior of economic agents. We must seek a new concept of equilibrium different from the standard Walrasian equilibrium in macroeconomics.
(拙訳)
標準的なワルラス均衡理論*1は、労働のような生産要素の限界価値が企業間や業界間で等しいことを要求する。しかし、実際の経済では、生産性のばらつきが各所で観測される。サーチ理論は、一見不均衡に見える現象を新古典派均衡の枠組みに取り込むことにより、この齟齬を解消したと主張している。ここではLucas and Prescott (1974)*2を主な例として取り上げ、新古典派のサーチ理論では、観測される生産性のばらつきのパターンを説明できないことを示す。非自己平均性という経済学者にはあまり馴染みの無い概念がそこで重要な役割を果たす。実証結果は、経済主体の最適化行動によりもたらされる均衡作用を圧倒するような擾乱作用の存在を強く示唆している。我々は、マクロ経済学の標準的なワルラス均衡とは異なる、均衡の新しい概念を追究すべきである。


なお、吉川氏と青木氏の共同研究については2000年のこの本で既に触れられていたが、2006年の以下の本に結実している。


また、こちらのディスカッション・ペーパーは先月付けとなっており、両者の共同研究は今も続いているようである。


さらに、この青木氏との共同研究を元に吉川氏は、日本学術振興会の「異分野融合による方法的革新を目指した人文・社会科学研究推進事業」に「理論物理学との融合によるマクロ経済学の再構築」という研究テーマを申請し、採択されている


もちろん、こうした新規(というより新奇に近いかも?)の研究の成否が定まるのはこれからのことであるが、拙ブログで以前取り上げたコランダーの議会証言の参考資料で言及されたり、フランスの経済物理学者が書評を書いたりしており、今後注目を集めていく可能性もある。



ちなみに、小生が昨日のエントリで

齊藤氏に言わせれば、吉川氏も「先端的な経済学研究において厳格なトレーニングを積んでから」経済学について発言すべし、ということになるのだろうか…。

と書いたのはもちろん反語的な意味だったのだが、一部の方には通じなかったようである。今回、吉川氏が現在も上記のような研究活動を行っていることを示したことにより、その反語の意味が少しは分かって頂けたかと思う。

*1:本文の冒頭部では「Real business cycle (RBC) theory (Kydland and Prescott 1982) now being taught at many leading graduate schools all over the world is basically a macro version of the Walrasian equilibrium theory.」と書かれており、ここでは基本的にリアル・ビジネス・サイクル理論を指しているようである。

*2:Lucas, R. E., and E. Prescott (1974). Equilibrium Search and Unemployment. Journal of Economic Theory 77: 721–754.