経済学という不正確な科学

ミシガン大学ディアボーン校の総長を務める哲学教授のダニエル・リトル(Daniel Little)が、表題(原題は「The inexact science of economics」)のブログエントリを書いている(Economist's View経由)。


そこで彼は、ウィスコンシン大学マディソン校の哲学教授ダニエル・ハウスマン(Daniel Hausman)の書いた「The Inexact and Separate Science of Economics」という本から、以下の考察を引用している。

  1. 不正確な法則とは近似である。それは、ある誤差の範囲内で真実である。
  2. 不正確な法則は確率的ないし統計的である。経済学の法則は、人間が必ずこのように振舞うと記述するのではなく、人間が通常このように振舞うと記述する。
  3. 不正確な法則は、干渉が存在しない場合の物事のあり方という、反事実的条件における主張を行なう。
  4. 不正確な法則は、他の条件が同じならば、という曖昧な条項が付く。

つまり、経済学の法則は、観察される経済行動とせいぜい大まかにしか適合しない。ハウスマンはこの考察の導出に際し、ジョン・スチュアート・ミルを援用したとのことである。


さらにハウスマンは、経済学は経済学者によって「遊離科学(separate science)」として扱われてきた、とも言う。ここで遊離科学とは、然るべき定義された社会現象の領域において、ほとんどすべての現象が説明できる科学を指す。以下がハウスマンの遊離科学に関する考察である。

  1. 経済学は、経済学自身の関心の対象となる因果関係という観点から定義され、ある何らかの領域という観点から定義されるわけではない。
  2. 経済学は独自の領域を持っており、そこでは経済学の因果関係がすべてを支配する。
  3. その支配的な因果関係の「法則」は、大体において既知のものとなっている。
  4. 経済理論は、そうした法則を駆使し、自らの領域について、統一され完結しているものの不正確な説明を提供する。


以上のハウスマンの考察をもとに、リトルは、経済学に対する以下の疑問に答えようと試みている。

  • 経済学は観測される経済事象についての科学理論たりえているのか? それとも実社会にとって意味の乏しい、抽象的な仮説モデルに過ぎないのか?
  • 経済学は実証科学か、それとも数学体系か?


この疑問に答えるためにリトルが提示する4つのキーワードが、真実、予測、説明、確認、である。

真実
不正確な理論ないし法則が「真実」であることの意味とは?
  • 一つの答え:社会現象の裏にはそれを「駆動」する観測不可能な因果関係が実在していると信ずるならば、それを正しく解明した社会ないし経済理論は真実であると言えるだろう。
  • その際、実際の事象がそうした因果関係が厳密に実証可能な形で分離できるか否かは、二次的な問題に過ぎない。揺れ動く気体中を落下する羽毛は予測不可能な経路を辿るとしても、ガリレオの法則は落下する物体に取ってやはり真実である。
予測
経済理論で将来予測をしたいという欲求と、予め分かっているその理論ないし法則の不正確さとの間で、どう折り合いを付けるか?
  • 上述の因果関係を元に、予測を立てることは可能。「他の要因が働かなければ、Xの存在はYをもたらす」というように。
  • しかし実際には、経済現象が孤立した状況で起こることは滅多に無いか、まったく無いので、そのような予測は無意味。
  • 従って、不正確な法則に基づいた理論は実証的予測には使えない、と結論せざるを得ない。
説明
不正確な理論から演繹される結論が、実際に発生した事象を「説明」するとはどういうことか? 両者が整合的な場合もそうでない場合もあるだろうに?
  • ここでは不正確な法則も強みを発揮する。実際に事が起きた後ならば、そうした事象をもたらしたメカニズムが理論的に既知のものであることを示すことは概ね可能。
  • 説明と予測は別物なのだ。自然淘汰ダーウィンフィンチ類を説明することができる。しかし、将来の進化による変化を予測することはできない。
確認
実証データで不正確な理論を確認もしくは否認するためには、どのようにすれば良いのか?
  • 理論と実際の出来事が合わない場合もある以上、通常の確認の理論は使えない。
  • 一つの答えは、理論の予測が測定結果のある範囲内に収まることを要求すること(「近似的に真実」という発想)。
  • しかし、ある理論が不正確かつ真実で、かつ実際の観測結果から大きく外れることもあり得る(例えば古典力学の世界でも、軽くて不規則な形をした物体を水中で銃から発射した場合にはそのような問題が生じる)。
  • ハウスマンは、一般均衡理論の前提を信じる根拠を問うた際に、この問題に直面した。
  • 別の答えは、個々の因果理論を一つずつ確認していくこと。ハウスマンもミルの演繹法の応用としてその可能性に言及している。


また、リトルは、計算可能な一般均衡モデルについて論じたこの小論(「On the Reliability of Economic Models: Essays in the Philosophy of Economics (Recent Economic Thought)」所収)でも、上述の問題に取り組んだとの由。そこで彼は、経済モデルの信用度を、以下の5つの観点から評価することを提唱している。

  1. 有効性
    • モデルの構築の際に用いられた前提が、そのモデルが描こうとする現象の背後にある実際のプロセスと、どの程度対応しているか。
  2. 包括性
    • 対象となる系の特徴的な挙動に影響する主要な因果関係を、どの程度捉えられているか。
  3. 頑健性
    • パラメータ設定や方程式を少しいじくった時に、モデルの結果がどの程度維持されるか。
  4. 自律性
    • 環境変数の変動に対し、モデルの結果がどの程度安定しているか。
  5. 信頼性
    • パラメータ値を設定する際に用いたデータをどの程度信頼できるか。