サムナー「ケインズはフィッシャー効果を分かっていなかった」

昨日触れたサムナーのブログエントリでは、ケインズの投資家としての資質に疑問を投げ掛けており、失敗した時に金持ちの父親や友人に助けてもらったから、その後も投資を続けることができたのであって、投資家として優れていたとは言えない、と書いている。その指摘にマンキューが着目し、自ブログで取り上げている*1


ただ、このエントリでサムナーがケインズを本当に批判したかったのは実はその点ではない。実際、コメント欄の応答でサムナーは以下のように書いており、上記の攻撃が一種の「釣り」であることを認めている。

I am not as anti-Keynes as my grumpy post suggests. Sometimes I just like to puncture his overblown reputation. But he was a fine economist and a great writer.
(不平を鳴らしたこのエントリから人々が思うであろうほど、私は反ケインズではない。ただ、時々、膨らみすぎた彼の評価に穴を開けたいだけなのだ。彼は立派な経済学者で偉大な書き手だった。)

My posts reflect the different moods I am in when I write them. So one day I might write something really negative about Keynes, on other days something positive.
(私のエントリは書いたときの気分を反映している。だからある日はケインズのことを本当に否定的に書くかもしれないし、別の日は何か肯定的なことを書くかもしれない。)


サムナーがこのエントリでケインズを本当に批判したかったポイントの一つは、例の美人投票論に代表されるような市場の効率性を否定する見方である。ケインズがフィッシャーのような投資面での失敗を犯していれば(フィッシャーは1929年の株価をフェアバリューであると評した)、そうした見方は真剣に受け止められなかっただろう、というのが彼の主張である。
これについて、投資家の資質と経済学者の資質に関係があるのだろうか、LTCM破綻の後にショールズとマートンの理論の価値が下がったわけでも無かろうに、と小生がコメントしてみたところ、以下のように反応している。

I agree that one’s reputation as an investor shouldn’t matter, but I think it does. Especially if you claim that your theories can allow you to beat the market. If it was discovered that Shiller’s investments had all done poorly, I think it would hurt his reputation as an economist.
(投資家としての評価が問題になるべきではないということは同意するが、実際には問題になると思う。特に市場に勝つ可能性を示す理論を唱えている場合には。もしシラーの投資パフォーマンスが全然駄目だということが分かったら、それは彼の経済学者としての評価を傷つけるだろう。)

また、別のコメントへの応答では以下のようにも書いている。

my experience is that there is zero correlation between investment success and economic knowledge. Indeed I believe that there is probably zero correlation between investment success and any kind of measurable knowledge. Otherwise mutual funds run by those with a certain measurable advantage (say higher IQ) would outperform the funds run by stupider people.
(私の経験では、投資での成功と経済知識の間の相関はゼロである。実際のところ、投資での成功と、あらゆる種類の測定可能な知識との間の相関もおそらくゼロではないかと思う。そうでなければ、そうした面で有利な(たとえばIQが高い)ファンドマネージャーの投信の方が、それほど賢くない人の投信をアウトパフォームするはずだ。)


そして、サムナーのこのエントリでのもう一つのケインズへの批判ポイントは、ケインズがフィッシャー効果を分かっていなかった、という点である。実際にはフィッシャーの方が経済を良く理解していており、ケインズはその足元にも及ばなかった、というのが彼の見解である。ケインズのフィッシャー効果への無理解の根拠として、彼は一般理論のp.142の記述を挙げているが、そこでは以下のように書かれている(以下の日本語訳は塩野谷祐一訳による)。

もし[貨幣価値の変動が]予想されるとすれば、貨幣を保有することの利益と財貨を保有することの利益とが再び均等になるように現存財貨の価格がただちに調整されるために、貨幣保有者が、貸し出された貨幣の価値の貸付期間における予想的変化を相殺する利子率の変化によって利益を得たり損失を蒙ったりする余裕はないであろう。
・・・
誤りは、貨幣価値の予想的変化が、与えられた資本ストックの限界効率に対してではなく、利子率に対して直接に影響を及ぼすと仮定するところにある。現存資産の価格はつねに、将来の貨幣価値に関する期待の変化に適応するであろう。

つまりここでケインズは、予想インフレ率の変化が一対一で名目金利に反映するというフィッシャー効果を否定している、というわけである。サムナーはその理由を、ケインズがあまりにも金本位制に慣れていたため、予想インフレ率がゼロから大きく離れる可能性をあまり考慮していなかったためではないか、と推測している。そして、もしそのことが分かっていたら、インフレ目標という考えに行き着いた筈であり、流動性の罠などというものは存在しないことが分かった筈だ、とサムナーは主張している。

*1:そこでマンキューはサムナーの記述を抜粋しているが、その抜粋部分でサムナーはケインズのことを「自惚れた傲慢な生意気な男(cocky, arrogant, smart-aleck)」と評して、金持ちのバックアップがいなかったらどこか現場の穴掘り作業で一生を終えただろう、と書いている。そのため、ここで紹介したエバンスのエントリでは、それをマンキュー自身が書いたと勘違いして、マンキューもケインズを人格攻撃しているではないか、とコメントした人がいた。それが原因かどうかは分からないが、マンキューは後からこれは引用だという断りの追記を入れている。ただ個人的には、クルーグマンノーベル賞受賞した時に彼への人格批判論文にリンクした時と同じで、そうした引用を行なうこと自体がやはり人格攻撃に加担している(しかも自分の手を汚さないというより陰湿なやり方で)ように見えるのだが…。